<< 前へ 目次 次へ >>
<< 前へ 目次 次へ >>
真っ白で何も無い空間に、ひっそりと佇む一人の少女がいた。
低身長の背格好にフード付きの灰色ローブを着用した少女は、目の前に設置された白い球体を手で操作しながら、無数に広がる正方形の液晶画面をじっと見つめていた。
液晶画面には二足歩行の人間の様な生命体が一人ずつ映し出されており、何気ない日常生活を送る者や生涯を全うする者、もしくは何らかの原因で世界から途中退場する者など様々な情景が映し出されている。
彼等は己の選択肢によって異なる人生へと辿り着き、そして死に至る存在である。
少女に任せられた使命は、彼等の一生を最後まで眺め続けること。
彼等は少女に監視されている事実を知る由もなく、またこの世界に彼等が迷い込むこともない。
もしもこの世界に来訪者が現れた場合は、少女に対して敵意がある者は直ぐに金縛りに遭い、身動きを取ることが出来ない。
――だが少女の前に現れた来訪者は今まで誰一人としておらず、またこの世界には少女以外誰も居なかった。
すると少女の背後から、一人の少年の声が聞こえ始めた。
「何してるの?」
少女は少年の声に気付いて振り向く――だが少女は、少年の返事を一方的に無視した。
少女は自身と変わらない身長の少年を見て、何故この世界に少年が迷い込んで来たのか不思議で堪らなかった。
少女がそう考えてる内に少年は物珍しそうに白い球体を眺めていると、少年は咄嗟に少女の手を繋ぎ、そしてまた話し掛けた。
「遊ぼ?」
少年の言葉に断る事が出来なかった少女は少年によって強引に手を引っ張られ、二人は白い球体が設置された場所から駆け出した。
真っ白で何も無い空間の中でも少年の笑顔は絶えず、今まで無表情だった少女も次第に楽しくなってしまった。
その後。二人の楽しい冒険に幕を閉じた。
――だが少年はまだ遊び足りないのか、少女の手から離れようとはしなかった。
すると少女は満面の笑みを浮かべながら、少年にある贈り物を渡した。
それは友達の証だった。
それは少年のお陰で楽しませて貰ったお詫びだった。
それは大切な宝物を守る為に少女が少年に授けた――この世界で一名のみにしか所持する事が許されない超能力だった。
そして少女は、少年を本来の居場所へと帰した。
◇ ◇ ◇
西暦2007年6月2日。
シンギュラリティ。それは戦争の無い平和な世界を築く為に作られた大規模都市である。
人々を各区域ごとに分散させ、あらゆる犯罪を発生させない為に小型カメラを周囲に設置し、人々の行動を常に監視している。
――所謂、監視社会だ。
人々には真実のみを報道する義務を課せられ、根も葉もない作り話の様な嘘の内容は全て、この世から排除される。
そしてシンギュラリティでは様々な犯罪が発生した時点で、収束に手間が掛からない事で有名だった。
犯罪者達は常に覚悟の上でのみ全ての犯罪が成り立っており、一度でも警察に身柄を拘束されれば、北部の超監視社会へと強制的に送られる。
一般市民の場合は事故や事件などに巻き込まれた時、すぐに警察と救助隊が現場へと駆け付ける安心感があるので、シンギュラリティでは年々外部から訪れる移民が増加していた。
この中央区は高さ数百メートル以上もある超高層ビルが多く建ち並び、シンギュラリティの中でも一番経済を回している唯一の場所である。
現在の時刻は午後十一時を過ぎており、外は暗闇と静寂に包まれていた。
するとある超高層ビルの屋上に、黒い学生服を着用した一人の少年が訪れた。
彼の名前は、櫛田陸。
身長は百六十センチ程であり、多少の筋肉は付いているが見た目以上の瘦せ型。短い黒髪に茶色の目が特徴の男子中学生。
陸は元々シンギュラリティ南部の第二教育学区に暮らす住民である。
――だが陸はこの超高層ビルの屋上に無断で侵入していた。
無断と言っても屋上に設置してあった小型の監視カメラは現在メンテナンス中であり、午前零時までの間は第三者が無断侵入したとしても、特に問題にはならない。
ならば何故。陸がこの超高層ビルの屋上にいるのかと言えば――所謂、自殺だった。
「――あの時。あんな物さえ貰わなければ……」
陸は微かな声で独り言を呟いた。
陸が自殺に至った経緯は家庭内の暴力でも無ければ、学校内のいじめでも無い。
では何か? それは未来視だった……。
幼い頃。陸は灰色ローブを着用した少女が登場する白昼夢を見た。
その少女に渡された贈り物が、何を隠そう――未来視である。
そして陸の人生は幼い頃に手に入れた未来視によって全てが狂い始め、普段の日常生活において驚く様な出来事でさえも全て無と化していた。
それが陸にとっては何よりも苦痛であり、そしてそれこそが自殺を決意した理由でもあった。
「早くしないと、バレたら大変だ……」
陸は目の前にある二メートル程のメッシュフェンスを自力で上って乗り越えた。
残り一メートルしかないコンクリートの地面をゆっくりと歩き、顔を超高層ビルの真下へと覗き込む。
星が見える夜空とは違い、中央区は煌びやかな電飾看板に夜営業の屋台や小規模な小売り店舗などのお陰で上から見る綺麗な景色は決して悪くはなかった。
ただ人間の身体は臆病なものだ。
確かに真上から見る景色は綺麗だが、ここからアスファルトの道路までの距離は数百メートル以上も離れている。
その為。陸の全身からは既に背筋が凍る程の鳥肌が立っており、一度でも目を離せば、この身体ごと外の景色に吸い込まれそうになる。
――だがそれでも陸の決意は変わらなかった。
陸は瞼を閉じて、この数百メートル以上もある超高層ビルの屋上から飛び降りた。
――筈だった……。
人間の体重は決して軽い訳ではない。
パラシュートを装着していない生身の人間が上空から飛び降りれば、自分自身の体重によって全身は風を感じながら、段々落下速度が増加する。
身体が地面に接触した瞬間。衝撃に耐える事が出来ない体内の臓器は落としたトマトの様に破裂し、人間は一瞬の痛みと共に死に至る。
――だが陸は、何も感じる事がなかった。
次第にそれは恐怖へと変化し、陸は瞼を開く事が出来なくなってしまった。
すると陸の背後から誰かの気配を感じた瞬間――口が悪そうな少女の声が聞こえ始めた。
「何やってんだよ? お前。自殺か……?」
そう。少女は後ろから陸の黒い学生服をしっかりと掴み、陸の自殺を一歩手前の段階から止めていた。
その状況に気付いた陸が瞼を開けると、自分自身が死亡していない事実に苛立ちを覚え、少女に対して怒りを露わにした。
「――何で、止めたんだよ……!!」
「目の前で死なれちゃ、俺が困るからな」
自殺志願者の気持ちなど、善意で救助する彼等に知る由もない。
それは善行で働く彼等は常に自己満足で行動し、相手の気持ちなど一切理解出来ない状態で勝手に解決へと導く事が多い。また逆にそうだと訴える他責思考の持ち主は、本人の視野が極端に狭く、自分以外の人物全てを敵と見なしている。
――だが陸の場合は前者であって、後者ではないだろう。
そもそも未来視とは第六感の一種であり、陸の様な通常の一般人には最初から備わっていない代物である。
陸も未来視を手に入れた当初は戸惑いながらも、何度か知り合いに未来視のことを打ち明けた事があった。
――しかし誰もが口を揃えて、アニメの見過ぎや厨二病などと容赦なく馬鹿にされた為、陸は成長と共に引っ込み思案の様な内気な性格へと成り果てていた。
日常生活の中で無作為に発動する未来視を一人で受け止めた陸は、いつも孤独な毎日を送っていた。
その苦しみを、彼等は知らない。
「それでも……」
少女にあしらわれた陸は、それでも自殺を諦める事が出来なかった。
――だが少女は陸の言葉など気にもせず、一方的に制止させた。
「悪い。用事が出来ちまった」
「用事……??」
(こんな時間に用事なんて……)
「お前、次は自殺なんか考えんなよ? 俺からの忠告な!!」
「――おい! 待て!!」
陸が後ろを振り返ると、そこに少女の姿は無かった。
時刻は既にあと十分が経過すれば、午前零時になる。
今からもう一度自殺を試みる事も出来るが、陸の脳裏には少女との会話が再生される。
すると突然。陸の未来視が反応した。
〝《〈櫛田陸〉は上空に設置された衛星カメラの存在に気付き、二度目の自殺は諦めた》〟
(衛星カメラ……??)
陸は咄嗟に空を見上げた。
光り輝く白色の星の中に、緑色と赤色の光を放つ無数の何かの存在に気付く。
それはシンギュラリティの住民ならば、誰もが知っている信号――監視カメラだった。
緑色は起動中であり、赤色は警戒中。赤色に切り替わった時点で、付近の管理室へ報告される仕組みだ。
幸い。この超高層ビルの監視カメラは現在メンテナンス中であり、午前零時までは管理室に報告されない。
――だが赤色に点灯している以上、陸の自殺はシンギュラリティによって全て見られていたという事になる。
陸は上空の衛星カメラにも監視機能が搭載しているとは知る由もなく、いつも地上ばかりを気にしていた。
そう。陸は未来視で視た通り、二度目の自殺を諦めるしか方法がなかった。
それに監視カメラに見られた以上、無暗に別の場所で自殺を試みる事は困難を極めるだろう。
「クソッ!! 仕切り直しも出来ないのか……!!」
陸は落胆して深く溜め息を吐くと、すぐにこの場から離れて忽然と姿を消した。
午前零時。超高層ビルに設置された全ての監視カメラのメンテナンスが終了した。
するとシンギュラリティにある全ての監視カメラが一斉に自動更新を開始し、――そして新たな機能が追加された。
それはメンテナンス期間中に全ての機械が一斉停止する従来の機能を無くし、機械同士が交代でメンテナンス期間を設けて、停止中の機械を他の機械が補助するという簡単な機能だった。
こうして自ら命を落とす自殺志願者達は、上空の衛星カメラと地上に設置された監視カメラによって次々と発見され、警察に保護される仕組みへと生まれ変わった。
それは陸も同様にネット上に貼られた沢山の自殺志願者達の記事を見て、あの時自殺出来なかった後悔と謎の少女に助けられた苛立ちが、今も尚――陸の精神を蝕んでいた。
<< 前へ 目次 次へ >>