小説家。それは好きな物語を思い通りに創作できる、人間独自の万能魔法。
この世界では芸術や音楽などありふれた能力を簡単に習得する事は出来るが、小説は至極当然と言っていい程遥かに難易度が高く、多くの書籍を参考にした執筆者が自身の小説を完結するまでに、大量の時間と凄まじい程の労力を注ぎ込まなければならない。
それにファンタジー小説という創作物に至っては、ただ物語を書き続ければ良いという物ではない。
文字による独自の表現力や魅力的な登場人物、そして壮大かつ読み応えがある物語を書かなければ読者に共感を得る事も出来ないし、その作品に何が足りなかったのか理解されずに去ってしまう哀れな初心者達の存在も忘れてはならない。
小説投稿サイトでは今も尚――この様な現実が待ち受けている。
まず読者は本当に面白い小説なのか第一話の時点で見定める必要があり、執筆者は己の文章力のみでその小説の魅力を読者に伝える事が出来なければ、それ以降一生誰かに読まれる機会は訪れない……。
ランキング上位を目指す為に執筆者は更新頻度を頻繫に行われなければならず、PV数が増加した所で書籍化されなければ何も解決されない。
そう。小説投稿サイトは食うか食われるかの弱肉強食な世界であり、オリジナル作品であっても類似した小説は数多く存在する為、読者が一度でも面白くないと判断した時点でまた別の小説を読めば良いというだけの簡単な作業である。
――だが執筆者ならば、どう考えるだろうか? その小説は読者の様に、簡単な作業なのだろうか?
物語を創作する上で綿密なプロットを構成し、尚且つ複雑な程までの伏線を各話ごとに隠している時点で、執筆者にとって読者という者は呆気ない存在でしかない。
読者は一度でも執筆者の気持ちを理解した事はあるだろうか?
現代の格差社会の波に呑まれながらも、自身の人生を犠牲にする――執筆者の気持ちを……。
まず理解されないだろう。そして執筆者は小説家の夢を諦める。
それが小説家を目指す――執筆者の宿命だからだ。
だからこそ読者は執筆者を応援しなければならない……。
例え小説家の夢を諦めてしまった執筆者であっても、創作した物語は今も尚――執筆者の記憶の中で語り継がれているのだから……。
決して私達は、その小説の名を忘れてはならない――。
◇ ◇ ◇
西暦2024年7月。
日本のとある田舎にある住宅街。五階建てのマンションに住む今年で三十歳を迎える茶髪の男性は呆然と液晶テレビの映像を見つつ、片手には袋から取り出したポテトチップスをパクリと摘まみながら悠々自適な一人生活をしていた。
ごく一般的に見る平凡な部屋である彼の六畳の一室には物が散乱している様子はなく、強いて言うならばゴミ箱には酒や煙草がない代わりに大量のエナジードリンクの空き缶が捨てられていた。
彼の名は斎藤ユウタ。身長は百八十センチ程で多少の筋肉は付いているものの見た目以上の瘦せ型。日本人特有の短い黒髪に見えるが少し赤みが掛かった茶髪にも見えてしまう不思議な髪質を持ち、テクタイトの様な黒い目が特徴の男性。
これでも三十代を迎えたおっさんだが自前の童顔のお陰で若々しくも見える中、変人過ぎる性格で彼女歴皆無な童貞に過ぎない事が、ユウタにとっては何より残念な所だ。
「暇だな……。いつもいつも」
銃の所持が緩和している海外では国同士の戦争が行われている中、地球温暖化の影響下で様々な事案に取り組む一方で日本の経済は刻一刻と下落しており、国を良くする為の税金が人々に重く圧し掛かる現代社会。
不景気極まりない世の中だが他国と戦争に発展しないだけ日本は平和な国なのである。
憲法が改正されて国の為に戦争に行かされた場合を考えると、アニメやゲームなどに浸透された日本のオタク達は皆口を揃えて発狂するだろう……。
するとユウタの背後から見える玄関の扉が、ガチャリと開く音が聞こえた。
ユウタは後ろを振り向いて玄関へ視線を向ける――するとそこにはゴシックロリータの黒色ワンピース姿の少女が玄関を通り抜け、ユウタがいる部屋へと勝手に入って来ていた。
彼女の名はモルタ。
身長は百四十六センチ程で、成長皆無な小さな胸。膝まで伸びた白い長髪にオブシディアンの様な黒い瞳が特徴の女の子。見た目よりも少女の様な幼さを感じられるが年齢は不明であり、一応この地球を管理する神様である。
「おかえりって言えば良いのか……? モルタ」
「ただいま。ユウタ……」
凍てつく氷の様な言葉を発したモルタは純粋に、ユウタと呼び捨てる。
ユウタは大きく溜め息を吐いてモルタに対してジト目を向けると、モルタは不思議そうに首を傾げてユウタを見つめ返した。
モルタは本来やるべき神様の役割を尽く放棄しており、いつもユウタの前にのみ姿を現す不思議な〝白の神様〟。
モルタは良く人間界へと訪れているが、人間に対して危害を加える可能性が最も低い為か、他の神々の間では既に承知済みである。
その為。モルタが家に不法侵入して来ても、ユウタはいつも平常心で許していた。
「あのなぁ……、まあ良いか……。今日は何しに来たんだよ?」
「今日はユウタに用事があって来た」
「何の用事だよ……。頼まれる事なんて何も……」
「もしユウタが創造した作品が本当に実在したら、ユウタはその世界を救ってくれる?」
「馬鹿な事を言わないでくれ。あの小説はもう……、終わったんだ……!」
モルタの些細な言葉にユウタは何故か強く反発し、ほっといてくれと言わんばかりにユウタはモルタにそう言い捨てた。
――だがモルタは驚かなかった。
むしろモルタはユウタの過去を全て知っており、現在に至るまでの間一度もその話題に触れた事が無かった程だ。
昔。ユウタは、とある小説の執筆者だった。
ペンネーム〈9lim4st〉として、一時期小説を執筆していた――だが結局書籍化も叶わずに読者には存在ごと忘れ去られてしまったので、ユウタは自らの手で連載中のその小説を打ち切る事を決断した。
その後。深い悲しみの中でユウタはせめてもの償いとして、その小説の完結用プロットのみを残して執筆者を引退した。
その作品の名は【紅き瞳のイミ】。ジャンルはラブコメ要素を含んだ学園バトルが主軸で展開される王道ファンタジーだ。
何故ユウタが【紅き】の執筆を辞めてしまったのかは理由がある。
それは【紅き】が既存の『ファンタジー小説』から逸脱した作品だったからだ。
物語というのは読者に読まれ易いジャンルを選択するもの。
『異世界恋愛』や『追放物』の様な有名なジャンルは読者に読まれ易い傾向はあるが、無名の作者が創造した新境地なんて不特定多数の誰かが読んだとしてもそう長く続く筈がなかった。
――小説家になる為の現実は、そう甘くはない……。
「ユウタにとって――この世界は面白かった?」
モルタはユウタの心を掬い取る様に尋ねた。
皮肉そうにも聞こえてしまう言葉だが、別にモルタの話し方が悪い訳ではない。
それはこの地球全体のエゴと呼ばれる自我にも当てはまり、誰かが反論した所で何も解決されない事を知っている。
「――それは……、モルタが一番知っているだろう……。と言うか、この世界を見捨てても良いのかよ」
「私はユウタさえ生きていれば……、他は何も望まない」
どこまでも真っ直ぐなモルタの言葉がユウタの心を深く抉る。
まるでモルタにとってこの世界そのものを放棄しているかの様にも聞こえてしまうからだ。
「その言葉。全人類に対して酷くないか?」
「私の世界だから別に構わない。それにユウタは何もしなくても、神眼でこの世界の結末を知っているのに?」
「それは……」
モルタが話した通り、ユウタは神眼を使用して、この世界の結末を以前から知っている。
神眼。否――詳しくはプロビデンスの眼。
神眼とは過去、現在、未来の三方向の視点から物事を視る事が可能な超能力であり、生まれながらにしてユウタは〝神眼の継承者〟としてモルタに選ばれた人間である。
――だが神眼を持つ者は真の救世主になる事は出来ない。
それは神眼によって、本来あるべき運命を変えてはならないからだ。
「でもいわゆる異世界転移なんだろ? 気軽にしても良いのかよ?」
「今は緊急事態だから……」
(何が緊急事態だ……。まるで僕を地球から――)
〝《【未来1】〈斎藤ユウタ〉は未曾有の大災害に巻き込まれる。西暦202×年×月の現在も遺体は見つかっておらず、死亡扱いとなる》〟
自動的に発動した神眼に、ユウタは驚かされた。
それは神眼で【現在】を視なくても、分かり易い内容だった。
そう……。モルタはユウタを異世界転移させて、これから地球で発生する問題を帳消しにするつもりで行動していたようだ。
だがもし他の神々に見つかった場合、モルタは罪人は疎か神様としての権能『神眼』を剝奪されるだろう。
一人の人間。それも神々の計画によって死亡する筈だった、ユウタを救出した事で――。
ユウタにとっては馬鹿馬鹿しい話でしかないが、ユウタは一度モルタの意見に少し耳を傾ける事にした。
「じゃあもし……自分が【紅き】の世界に行けたとして、どうやってその世界を救えば良いんだ?」
「それは……ユウタが良く知ってるから……。私には何で九重明人が闇堕ちしたらあの世界が崩壊するのか、全く分からないから救う事は出来ない」
(そうか……。忘れていた)
ユウタは昔。【紅き瞳のイミ】を執筆する上で、一度だけ頭を悩ませた事がある。
それはもし主人公の九重明人が闇堕ちした場合と、その条件について……。
その結末は余りにも凄まじく残酷過ぎる内容だった為、ユウタは一度白紙に戻していた。
――だがもし本当に起きてしまった場合、創造主として見過ごす訳には行かないだろう。
「誰だって愛する人を亡くしたら、支離滅裂になるのは当たり前だ……」
「何のこと?」
モルタは人間の感情という物が全く理解出来ない。
だからこそユウタが九重明人の闇堕ちした原因を詳しく話したとしても、モルタには全く伝わらなければ解決にも至らない。
人間にとって神様は偉大で尊き存在ではあるが、基本神様は人間の感情を全く知らないが故に、直感でそれらを悟るなんて不可能な話だ。
不思議そうに首を傾げるモルタの頭をユウタは優しく撫でると、モルタは瞼を閉じて嬉しいそうな素振りを見せた。
「……分かったよ。じゃあ今から準備して来るから、少しそこで待ってろ」
「――荷物は一つにして」
ユウタは溜め息を吐いた。
リュックサックに少しでも使えそうな物を詰め込もうと考えていたが、モルタには時間が残されていないようだ。
するとユウタは机に置いてあった一冊の表面が汚れたノートを手に取る。
「じゃあこれにするよ」
「それは?」
「【紅き】の設定資料集。パソコンが壊れた時用に書き記していたノートだ。まさかこれを持って行く羽目になるとは、思いもしなかったけど……」
「それでもユウタにとっては大事なもの」
「まあな……」
このノートは表面が汚れていても、中身は当時のまま。
一度でもページをめくれば懐かしさが蘇り、執筆者として続けれていればと思うと心が痛む。
それが辞めてしまった執筆者の生き様だ。
過去を懐かしむ気持ちは誰にでも理解出来る――だが続けなければ意味がない。
だけどこの小説の持ち主は執筆者の物であって、読者の物ではない。
一度触れた物語を大切に保管する事が、執筆者にとって掛け替えのない物だという事を忘れてはならない……。
「――ユウタ。今から転移するから私の手を握って」
「時間軸はどうするんだよ?」
「……ん? 九重明人が闇堕ちする一歩手前……、とか……??」
「どうやって接触するんだよ……」
「……ん? ダメ??」
「あのなぁ……」
モルタの無計画さに、ユウタは先が思い遣られる程深く頭を悩ました。
神様は肝心な所で気が抜けている場合が多く、問題解決に順序という物を全く必要とせずに突然姿を現して神の御業を人間に披露する。
それを機械仕掛けの神と呼び、極めて王道的な展開の一つとして使用されるが、多くの人間はそれを嫌う傾向がある。
何故かと言えば、人間同士で問題を解決する筈が第三者もしくは正体不明の神様によって強引に美味しい所のみを全て横取りされたら、誰だって嫌悪するのは当然の結果だ。
人間側からすれば神様が真の敵だと誤解される可能性もある為、神様にとって人間とは非常に扱い難い存在として認識されている。
モルタの場合。神眼を継承した斎藤ユウタの意見は素直に受け止め、それ以外の者達の意見は全て却下している。
それはモルタがユウタを凄く信頼しているからだろう。
「……じゃあ、転移先は少し調整を加える」
「そうだろうな……。その方が良いと思う」
「……ん。分かった」
ユウタはモルタの右手を掴むと、二人は白色の眩しい光と共に六畳の一室から姿を消した。
それから数分後。突如とある住宅街近くの山が噴火し、落石によって甚大な被害に覆われた未曾有の大災害が日本を襲った。
五階建てのマンションは鉄骨と瓦礫の山と化して、生存者は0人。
死者は千人を軽く超えて、行方不明者はおよそ四百人以上という状況の中、懸命な救助活動が行われた。
そして西暦202×年×月の現在。遺体が見つからない者は全員死亡扱いとなっていた。
その後。神々の中で唯一『神眼』を持つ〝白の神〟モルタを捜索する者が現れたが、その姿を最後に目撃した者は誰もいなかった……。