ゾーラ大森林の草原を越えた先には、高さ数十メートルを及ぶ石造りの壁に覆われた街がある。
その街の名称は歓楽街ガロン。終焉戦争ラグナロクによって、甚大な被害に陥った様々な小さな村が集まって生まれた大きな街だ。
七代目国王ジャック・オーディアの復興支援により『歓楽街』と呼ばれる程まで大きく発展して以来、現在は東西南北にそれぞれ四つの区分が施されている。
住民は商人を除いてもおよそ百人も満たないが、無限高校の生徒や冒険者達のお陰で約三百人以上の人々が歓楽街ガロンを移動経路として使用しているので毎日が活気に満ち溢れている。
そして冒険者が生業する為の冒険者組合は東と西の二箇所に拠点を構えており、主に冒険者の収入源は魔物討伐や護衛任務などである程度賄っていた。
紅色の本レガリアを介して得た世界地図によって、テクト達は無事に歓楽街ガロンの入口付近にある西側の守衛門へと辿り着いた。
守衛門の入り口には歓楽街ガロンを警備する鉄の鎧を身に纏う守衛兵が二名以上配置されている筈が、朝と比べて昼間のこの時間帯は通行人が少ない為、高身長のスキンヘッドの男性が一人で警備していた。
彼の身長は百七十センチ程で装備は鎧姿の下半身と身軽な黒い薄着を着用し、腰には鉄製の長剣が鞘に収められている。
守衛兵にしては頼りなさそうな見た目をしているが、各守衛門に配置された隊長の強さはオーディア王国お墨付きの熟練兵達だ。
怪しい行動を控えたとしても身体検査で素性が明かされるので、守衛兵の質問や会話には正確に受け答えしなければならない。
するとスキンヘッドの男性は腰の鞘に手を置き、前進するテクト達に気付いて低く野太い声を発した。
「おい!! そこのお前ら――止まれ!!」
テクトは直ぐに足を止めた。
するとモルタは何故かスキンヘッドの男性の言葉を何食わぬ顔で無視したので、テクトは待てと言わんばかりにモルタの肩を強く掴み取って強制的にモルタの足を止めさせた。
モルタはテクトの方へ振り向くと機嫌が悪いのか、むぅ……と口を膨らませる。
どうやらモルタはスキンヘッドの男性が話した『お前ら』という言葉が気に障るみたいだ。
(面識のない赤の他人同士なんだから……、発言ぐらい仕方ないだろ……)
〝《【未来1】〈テクト〉は冒険者になりたいと〈守衛兵〉に志願する。〈テクト達〉は〈守衛兵〉のお陰で入場税を帳消しにされ、歓楽街ガロンの入場を許可された》〟
(入場税を帳消しに?? 意外とこの守衛兵――本当は良い奴なのかも知れない……)
「学生ではないな……? 冒険者か?」
「いいえ、どちらも違います。実はお金に困ってしまいまして、歓楽街ガロンで冒険者になりたくて来ました……」
「そうか……。その歳で冒険者か? 最近の若い奴は学校にも通えない者達で溢れているもんだな……」
「それはどう言う意味ですか?」
「――最近。お前達みたいな背の低い銀髪の少女が訪れてな……。何があったか知らんが、俺が内緒で入場を許可してやったんだよ」
「そうですか……。そんな事が……」
この歓楽街ガロンの東側には【紅き】の登場人物達が通う無限高校がある。
無限高校は六つの有名な高等学校の一つであり、在学生の人口は転校生を除いても相変わらず減少傾向に陥っていない。
その為。スキンヘッドの男性が話した銀髪の少女は他の都市から流れて来た未成年の移民者だろうとテクトは気付く。
移民者は難関の〈教職科〉によって他校に編入する事は極めて困難であり、資金面を考慮したとしても冒険者の道を選ぶしか生きる資格はない。
それはテクト達も移民者と対して変わらなかった。
だからこそテクトは冒険者を予め選択していた。
「……ん。冒険者組合」
「分かってるよ」
モルタはテクトの服の裾を引っ張りながら退屈そうに呟いた。
〝白の神〟からすれば、人間との立ち話は長く無駄な時間の様だ。
態々人間から情報を得ずとも神眼を使用すれば簡単に入手する事は出来るし、全てが真実の情報なので人間に騙される心配もない。
そうだとしてもテクトは人間でありモルタの様な神様ではないので、その気持ちはあまり理解出来ない。
「悪い悪い。嬢ちゃんが退屈しているな」
「すみません……」
「別に構わない。お前達もゾーラ大森林から良くここまで来れたもんだな。そこに鑑定機能付きの水晶玉が置いてあるから、触れてみてくれ」
守衛門の右側には二十センチ程の丸い水晶玉が複数設置されていた。
この水晶玉の鑑定機能は名前や性別、犯罪歴以外は表示されない安心仕様となっており、子供や老人でも気軽に鑑定する事が出来る。
尚。六つの有名な高等学校の学生は学生証か制服、冒険者は冒険者証を提示すればこの鑑定を免除出来る。
テクト達は水晶玉に触れると光の粒子が上昇し、目の前にテクト達の名前が黄色に発光して浮かび上がる。
この時に文字が赤く染まれば犯罪者だと確定し、下記の項目にそれぞれ犯罪の詳細が浮かび上がる様になっている。
【テクト・シュヴァリエ】
[性別]男 [犯罪歴]×
【モルタ】
[性別]女 [犯罪歴]×
この【紅き】の世界は魔法言語と呼ばれる所謂異世界の言語は存在するが、基本の日常的な会話や文字は全て日本語を共通言語として使用している。
何故日本語なのかと言えば理由は単純。日本人は平仮名や漢字など複雑な言語を日本語として使用する様に、この世界を創造する時に斎藤ユウタは敢えて異世界言語を余り作らずに馴染み深い日本語を取り入れた事が原因だ。
「犯罪はしてないな。良し!! 入って良いぞ」
「あの……、入場税は?」
「――必要ない。どうせ冒険者になるんだろ? 見た感じ剣も持ってないし、その通貨で剣を購入すれば良い話だろ?」
「ありがとうございます」
「早く行ってくれ。こんな所で道草を食ってると、他の守衛兵に見つかるぞ。それにお前達が野宿になっても、俺は知らないからな」
スキンヘッドの男性は照れくさそうな態度でテクト達に軽く忠告を下し、守衛兵でありながらも本来納める筈の歓楽街ガロンの税金を放棄して、テクト達の入場を無断で許可する。
スキンヘッドの男性は外見こそ強面の印象だが実際は温厚な性格で心優しく、移民者であっても無害の子供達や身体の弱い老人に対して敬意を払い、彼らに入場税を請求させる義務は全く無いと感じている。
それを見越して彼は八代目現国王ソル・オーディアによって歓楽街ガロンの西門を管理する守衛兵隊長として任命され、現在は四人の部下と妻子に恵まれていた。
テクト達は西側の守衛門を通り抜けて歓楽街ガロンの中へと歩き始めた。
〝《【過去1】〈柊星乃〉は西側の守衛門を通過して歓楽街ガロンへと入場した》〟
(――やはり銀髪の少女は柊星乃だったか……。この時点でいるとはな……)
去年開催された大規模戦線アルティナの優勝クラン〈神楽〉のクランマスター兼ダークホース、月詠高校一年〈巫女科〉の柊星乃。
彼女はソードデバイスと呼ばれるハイブリッド型魔剣デュランダルを持つ二刀流剣士であり、紅き瞳のイミ第二章に登場する重要人物の一人。
大規模戦線アルティナとは、六つの有名な高等学校が作成した様々なクランが戦場と化した都市の中で大規模な戦闘を繰り広げる大会だ。
一種の戦争の真似事に過ぎない行為だが、これはかつての大戦――終焉戦争ラグナロクを思い出させる為に毎年開催しているものだ。
唯一大戦との違いを述べるならば戦闘で使用する全ての都市に強力な結界を張り巡らせ、戦闘後に崩壊した地形を元の状態に修復する事が出来る。
そして優勝クランには十億の賞金や願い事を一つ叶えるというアルティナの勾玉、クランマスターにはこの世界のありとあらゆる権限を一つ授与される特典付きだ。
去年の大規模戦線アルティナはクラン〈デスティニー〉の不正行為によって、クラン〈神楽〉が勝利を収めた。
(一度会えるなら、星乃にも会ってみたいな……)
テクト達は歓楽街ガロン内にある近場の冒険者組合を探し始めた。
生憎。テクト達は地図がなくてもこの紅色の本レガリアの世界地図のページを開けば、歓楽街ガロンの精密な地図と現在地が全て表示される。
この状態のレガリアは例え閉じてしまった場合でも、テクトの視界からは拡張現実の様な光景が瞬時に展開されるので、万が一戦闘に巻き込まれてしまってもテクトは地形の構造を予め把握する事が出来る。
ここまでレガリアが優秀だとはテクトでさえも予想だにしなかった。
(露店で販売している高値の地図を買う必要性がなくなってしまったな……)
テクト達は中世ヨーロッパ風の街並みを歩き進めて行くと、西方面のとある冒険者組合へと辿り着いた。
そこは第二冒険者組合クレム。三階建ての木造建築で唯一酒場と宿屋が連結している珍しい冒険者組合で、その右隣には充分に戦える程広く建てられた闘技場まで完備されている。
テクトはモルタを連れて中央の両扉を開けば、一階は二階の半分以上の面積を使用した巨大な大広間となっていた。
まず中央の窓口には茶色のブレザーに太股が少し露出した短いスカートを着用した受付嬢達が冒険者の応対をしながら働く姿が見え、奥の酒場では昼間にも関わらず既に数十名以上の冒険者達で席は殆ど埋め尽くされていた。
二階と三階はそれぞれ別々の階段が設けられ、二階は第二冒険者組合クレムを管理するクランマスターの部屋、三階は冒険者専用の特別な宿屋がある場所だ。
するとテクト達の目の前で偶然冒険者が離れて窓口の一つが空席となり、その場には金髪ロングヘアの受付嬢が待機していた。
彼女の身長は一五八センチ程の瘦せ型で胸は小さく、グリーンカルサイトの様な黄緑色の瞳と金髪ロングヘアの頭には同色の猫耳が生えており、種族は人間寄りの若い猫人族の女性だ。
テクトは一度背後に誰もいない事を確認した後、その金髪ロングヘアの受付嬢に恐る恐る近付いて声を掛けた。
「あの……自分達、冒険者になりたくて来ました」
「新人さんね。歓楽街ガロン第二冒険者組合クレムへようこそ。私は受付嬢のレーネルよ。よろしくね!」
「自分の名前はテクト、この子はモルタ」
「……ん」
レーネルはテクト達に向けて笑顔で応じながら自己紹介を交わす。
受付嬢は冒険者との第一印象を大切にしなければならず、冒険者組合としての品格を下げる行為は基本必要に応じて禁止されている。
それに冒険者組合の受付嬢は依頼によっては緊急時に冒険者の欠員補充として参加する場合が多く、前提条件として上位クラン出身の元冒険者か優秀な学業を修めた卒業生以外は働く事さえも出来ない。
「今から冒険者証を作るから、この水晶玉に触れてみて」
「はい」
「……ん」
レーネルはテクト達に二十センチ程の丸い水晶玉を渡した。
テクト達は丸い水晶玉に触れると光の粒子が上昇し、〈テクト・シュヴァリエ〉や〈モルタ〉という黄色の文字が発光しながら浮かび上がり、名前の下には出身地や職業などが細かく表示された。
【テクト・シュヴァリエ】
[性別]男 [年齢]16
[種族]人間 [出身地]聖魔都ヴァルディム
[職業]剣士 [犯罪歴]×
【モルタ】
[性別]女 [年齢]16
[種族]人間 [出身地]聖魔都ヴァルディム
[職業]予言者[犯罪歴]×
(出身地は異世界転移をする為に、モルタが用意した口実だろう……)
テクト達が最初に訪れたゾーラ大森林は、首都オーディアから見て西側にある歓楽街ガロンの近くに存在する。
だがモルタは【紅き】の登場人物達がいる無限高校を敢えて避け、彼らとの接触が難しい聖魔都ヴァルディムを出身地として選択していた。
聖魔都ヴァルディムとは光と闇が交わる都市であり、住民の多くは天使や魔族で構成されていて人間は極めて少ない事で有名だ。
六つの有名な高等学校の魔王高校は少人数派の人間達では種族の異なる天使や魔族達と馴染む事が難しく、他の高等学校に転校する者や移民者となって冒険者を目指す者が少なからず存在している。
【紅き】の原作を知るモルタは聖魔都ヴァルディムの人間側の事情を逆手に取り、神の力でテクト達の全てを偽装した状態で逆に利用した形だ。
「犯罪歴はないみたい……。それだとランクは、Fから始めれば丁度良さそうね。冒険者のランクは最低Gランクから最高Sランクまであるわ。Cランクになるまでの間は注意が必要で、沢山依頼をやらないと冒険者証が自動的に失効するから気を付けてね。Sランクになると、各都市から直接依頼を受ける事になるから。まぁ……堅苦しい世界だから、私はお勧めしないかな?」
冒険者にはランク制度が存在する。
ランクは大きく分けて最低のGランクから最高のSランクまで存在し、Cランクになるまでの間は沢山依頼を達成しなければ冒険者証が一、二週間で自動的に失効される仕組みだ。
Sランクは文字通り各都市から直接依頼を受けられて常に束縛状態と化し、Gランクは冒険者としてはまだ未熟な見習い扱いを受ける事になる。
受付嬢の判断で最低Gランク、もしくはFランクに変更する事が可能だ。
「依頼に関しては窓口の私達に話し掛けるか、そこの掲示板に依頼書が貼ってあるから、それを私達に見せれば依頼を受理出来るわ。依頼が完了したら私達が報酬を渡すから、しっかり受け取ること――分かった?」
「はい」
「魔物の解体は無料で引き受けるわ。あと武器やアイテムなんかも簡易的な物ばかりだけど買えるから」
入口付近に設置された横長の掲示板にはB6サイズの依頼書の紙が沢山貼り出されていた。
あの依頼書は各ランクごとに区分された形式で貼られており、その殆どの依頼が魔物討伐や護衛任務で埋め尽くされている。
何でも屋の様な簡単な依頼は全て下請けの無限高校のお陰でかなり変動する為、掲示板には簡単でも面倒臭い依頼以外は殆ど貼り出されていない。
窓口から見て左側の扉に解体所があり、右側の闘技場へ続く扉の一歩手前には小さな道具屋があった。
道具屋のアイテムは野営用の必需品や魔物を捕獲する為の罠、薬草や魔物などの図鑑が売られている。
武器に関しては良質な鉄の長剣や軽くて丈夫な盾などが数種類のみ展示されており、流石にソードデバイスの様なハイブリッド型魔剣は置かれていなかった。
「他に何か質問はある?」
「三階は何があるんですか?」
「ああ……アレね。Cランク以上の冒険者になれば利用出来るパーティー専用の宿屋で、最も安全で頑丈な宿屋がコンセプトよ」
冒険者御用達の宿屋。
室内は一般的な宿屋と変わらないが防犯の都合上全ての魔法を遮断する仕様となっており、普通の宿屋よりも少し高めの料金となっている。
「――はい。これがテクト君達の冒険者証よ。紛失したら再発行にお金が掛かるから、気を付けてね」
レーネルはテクト達に冒険者証を手渡した。
冒険者証はプラスチックカードの様な頑丈な板状の形となっていて、Fランクの冒険者証の色は灰色だった。
【紅き】の設定資料では冒険者のランクごとに冒険者証の色が変わる様に斎藤ユウタは考えていたが、改めて冒険者のランクを色で判別出来るのはテクト達からすれば新鮮でしかなかった。
「レーネルさん。早速で悪いんですけど、何か物探しか薬草採取の様な簡単な依頼はありませんか?」
「あるわよ? でも単価はどれも低いし結構時間が掛かる依頼もあるから、私にはお勧め出来ないわ。やっぱり冒険者は魔物討伐が本業って所が根強いからね」
(魔物討伐だと移動距離次第で、簡単な依頼に掛かる時間との大差は余り変わらない。それにランクを上げるなら、最初は魔物討伐よりも簡単な依頼を最優先にやった方が早いんだけどな……)
レーネルは十数枚の依頼書を纏めてテクト達に手渡した。
その中には簡単な依頼から面倒な依頼まで全て取り揃えており、報酬は難易度が増すごとに単価も上がる仕組みでピンキリは激しく、やはりレーネルが話した通り簡単な依頼の殆どが小遣い稼ぎ程度の報酬にしかならない様だ。
依頼の複数所持は期限さえ厳守していれば可能だが、未達となった冒険者は依頼主との信頼性を失う事にも繋がるので、どんなに簡単な依頼でも安易に欲張る事は出来ない。
――だがテクト達は違った。
それは神眼を使用する事によって複数の依頼を所持したとしても、この近辺ならば数時間で終わるとテクト達は確信していたからだ。
テクト達は歓楽街ガロン内の物探しに絞って依頼書を手分けして探し、テクトは四枚の依頼書を選ぶとモルタもその中から一枚の依頼書を手にした。
この五枚の依頼書の中で難易度が高い依頼は、テクトが持つ盗品と鶏の依頼書の二つのみ。
盗品は金銭目当てで質屋に売却されている可能性があるし、鶏に関しては最悪食用として売られている危険性はあるが心配はない。
物探しは紛失しても証拠を提出すれば達成出来るので、しっかり物を探して証拠さえ見つければ未達になる事はまず有り得ないからだ。
「……ん。私はこの一枚」
「じゃあ自分はこの四枚で」
「――待って!! モルタちゃんは分かるけど、テクト君は欲張り過ぎよ。それもそれ――相当面倒な依頼があるじゃない……」
「そうですか?」
「そうよ!! 馬鹿なの?」
「夕方ぐらいに戻って来るので、一旦受理して下さい」
テクトが半ば強引に話を進めれば、レーネルは呆れて溜め息を吐いた。
レーネルは過去に何度も依頼を欲張る冒険者を見た事があり、その半数以上が未達で終わっているからだ。
「分かったわ……。失敗しても私は知らないから。未達は信頼性を失う事にも繋がるから、期限は明日までに設定しておくわ」
「ありがとうございます」
レーネルはテクト達の依頼書を確認して仕方なく依頼を全て受理した。
数分後。レーネルはテクト達に合計五枚の依頼書の複写紙を手渡し、テクト達は第二冒険者組合クレムを後にして歓楽街ガロン内を歩き始めた。