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 Ⅰ 封印されし禁忌の少女 

Ⅰ 03 /03

3話「名無しの少女」


 シンギュラリティ南部――第二教育学区、住宅街。

 住宅街に到着したユウタ達は、夜の歩道を静かに歩いていた。

 朝と比べて人通りは減少し、建物の外にまで漏れた照明灯の光を見れば、殆どの住民が既に帰宅している事が分かる。

 等間隔に設置された白色の街灯によって、多少の明るさはあるものの、視界から眩しい光がちらつき、そしてその光源の周りには無数の虫が寄っていた。


 ユウタ達は周囲を見渡しながら歩いていると、狭い道路を通り抜ける数台の自動車、田舎特有のダクトから通る美味しそうな夕飯の匂いに、近隣住民の笑い声が微かに聞こえ始めた。

 するとナナシが小声でボソッと何かを呟いた。


「楽しそうですね」


 微笑むナナシの表情を見て、ふとユウタはこの後の事を考え始めた。


 ユウタには家族が居ない――だがナナシの場合は、今頃家族が心配している頃だろう。

 ユウタはナナシを早く元の世界へと返したい気持ちはあるが、そもそもの話。ナナシから手掛かりになりそうな物は、一つも見当たらなかった。

 そこでユウタが思い付いた事は、ナナシが最初に訪れた場所の特定だった。

 ――だがナナシからすれば、ここは見ず知らずの世界であり、シンギュラリティの地名までは把握出来ないだろう。

 だからユウタは敢えて言葉を濁しながらも、隣で一緒に歩いているナナシに話し掛けた。


「なぁ、ナナシ」

「何ですか?」

「最初にこの世界へ来た時に、何か目印みたいな場所は無かったの?」

「うーん……。あ!! そう言えば……、病院の様な建物が取り壊されてました」

「病院か……」


 シンギュラリティではインフラの整備を行う際、周辺に住む近隣住民以外にも告知されている。

 その中には当然、通い慣れた道や見知った場所も含まれるので、外部の者以外で道を尋ねる者は少なく、その影響によって誘拐などの犯罪件数も0に等しい。


 ユウタは制服のポケットから携帯電話を取り出して、ある画像をネットで検索し始めた。

 そして数分後。ユウタは携帯電話の画面を、そっとナナシに見せる。


「なぁ……。その病院って、こんな感じだったりするか?」

「そうです!! 良くご存じで」

「そうか……。もう工事が始まってたんだな……」


 ナナシに見せたその画像は、今から五年前に起きたあの事故で家族を失ったユウタがずっと入院していた、シンギュラリティ南部にある第六総合病院だった。

 ユウタの主治医だったあの年配の医者は元々院長先生であり、そして彼は老衰によって、既にこの世を去っている。

 それから半年の月日が経過し、病院側が莫大な負債ふさいを抱えていた事実が発覚して以降――第六総合病院は呆気無く閉院を果たした。

 その後。取り壊し工事が始まってから、当時の面影は少しずつ消えていった。


「斉藤さんが知っている場所なんですか?」

「知ってるも何も、幼少期にお世話になった場所だから。あと、その斉藤さんって言うのやめてくれないか? 他人行儀みたいで、何か嫌だから」

「では、ユウタさんで」


 ナナシはユウタを見ながら微笑んだ。


「あと敬語とかは、まぁ……別に良いか。ナナシの話し易いやり方で良いよ」

「はい。分かりました。ユウタさんはえっと……。何故、私に『さん』付けをしないのですか?」

「ああ――ごめん。距離を縮める為に、態と呼び捨てにしたんだ。ナナシが嫌なら、別にさん付けしても良い」

「いえ……。だったら私も、ユウタさんの事は、ユウタって呼ぶまでです」


 ナナシはそう言って意気込む――だが後から少し心配になり、ナナシはユウタに細々と問い掛けた。


「あの……、駄目でしょうか?」

「別に気にしてないけど……?」


 ユウタのその言葉を聞いた瞬間――ナナシは幼い子供が喜ぶ様に、その場を跳び上がりながら微笑んだ。


「やった――!! ありがとう。ユウタ」


 上機嫌ではしゃぐナナシを見て、ユウタは余りの眩しさに手で顔を覆い隠す。

 ユウタのその反応にナナシは良く分からず、不思議そうに首を横に傾げた。


「どうかしましたか?」

「いや、何も。ちょっと眩しかったから」

「ん?」


 自身の魅力さに全く気付いてないのか、ナナシはまた首を横に傾げていた。


 ――それから数十分後。ようやくユウタ達は、一階建ての小さな一軒家に到着した。

 一軒家にしては他の住宅地と比べて、何故か暗闇と静寂に包まれていた――だが敷地内を見渡せば、雑草が生えていないので、そこまで不気味さを感じる程ではない。

 この一軒家がユウタの自宅で間違いない――だがそれでもナナシは、少し違和感を感じ始めていた。


 ユウタが玄関の扉を開錠して扉を開けると、先にナナシを家の中へと入れる。

 そして当然の様に、ナナシは玄関の中で声を出した。


「お邪魔します」


 ナナシの声に、家の中からは何も反応がなく、家の中は依然として、暗闇と静寂な空間に包まれていた。

 ナナシは恐る恐る暗闇の玄関で靴を脱ぐと、廊下に足をつける。

 そしてユウタが家へ入ると、玄関の扉を閉めて施錠した。

 その後。ユウタは玄関の照明灯を先に点けてから、玄関で靴を脱いだ。


 人の気配が全く感じない感覚に、ふとナナシはユウタに話し掛けた。


「ユウタ。えっと……、御家族の方は?」

「ああ――いないよ」

「ああ――留守なんですね。道理で……」

「いや。家族は幼少期の事故で亡くなって。だから自分以外は、誰も居ないよ」


 ――え?


 その言葉を聞いて、ナナシは心臓が締め付けられそうな勢いで青褪あおざめる。

 そしてナナシはそのままの勢いで頭を下げ、ユウタに向けて盛大に謝罪した。


「すみませんでした!!」

「大丈夫。慣れてるから」

「そう……、ですか……」


 心配そうな表情でユウタを見つめるナナシを余所よそに、ユウタは居間へと向かった。

 ユウタの平然とした姿に、ナナシは少し複雑な気持ちになり、玄関で立ち止まる。

 するとナナシが居ない事に気付いたユウタが、居間からナナシを呼び掛けた。


「ナナシ――?」

「今行きます!!」


 居間から聞こえるユウタの声に気付くと、ナナシは急いで居間へと向かった。

 ナナシが居間へ着くと、広々とした居間の奥にある台所から、ユウタの姿が見えた。

 居間には木製の棚や長方形の机、テレビや腰掛けソファーなどが置いてあり、実際に以前まで家族が住んでいたかの様な生活空間が漂っていた。


 ナナシは奥の台所へ突き進むと、ユウタが調理棚からヤカンを取り出していた。


「料理はしないのですね」

「誰かに習った事が無いから、自分でもやろうと思った事が無くて」

「気持ちは分かります。私もいつも料理は任せっきりで、自分から始めようとは思いませんから」

「指を切ると危ないしな」


 それにはナナシも強く頷いた。

 ユウタは引き戸を開き、段ボールの中にあった紙容器の即席麺を二個取り出した。


「宜しいのでしょうか? 私の分まで」

「別に良いよ。お金に困ってる訳でもないし……。自分だけ食べるのは、流石に気が引けるから」

「では、お言葉に甘えます」


 ガスでヤカンを沸かそうと、ユウタはヤカンのふたを開け、水を入れ始めた。


「えっと……、まきはありませんか?」

「え?」

「お湯を沸かすなら、まずは薪を準備しないと……。納屋なやってありましたっけ?」

「いや……。そんな物、要らないだろ」


 ガスや電気の無い生活をしているなら話は変わるが、シンギュラリティは科学技術が発展した都市。

 だから飲食店や野外活動以外では薪などの木材を使用する事が無いので、ナナシがいる世界の生活水準がシンギュラリティと比べて、圧倒的に低いことが分かる。


(きっと、原始的な生活をしているんだろうな……)


 ヤカンの水が入れ終わると、蓋を閉め、ユウタはガスコンロの上にヤカンを置いた。

 その後。ガスコンロから火花が散り、点火させた。


「おお!!」


 ガスコンロから見える青色の炎に、ナナシは思わず歓声を上げた。


「これ!! コンロですか!? コンロですよね!! 人間の技術力、凄過ぎます……!!」

「コンロは知ってたんだ……」

「名前だけですけどね……。でも実物を見るのは、本当に初めてでして……」

(まさかこの子……。他の家電製品を見せても、同じ反応するんじゃ……?)


 案の定。ナナシに液晶テレビを見せれば、箱の中に人が入っていたり、様々な番組を見せては驚いていた。

 ただ――強いて言うならば、液晶テレビの仕組みを教えるのには一苦労した。

 まずナナシが終始仕組みを理解出来ずに苦しみ、ユウタでさえも同じ説明を何度も繰り返していく内に、最終的には萎えてしまっていたからだ。

 照明に関しては、元々同じ様な代物がナナシの世界にもあるらしく、反応は薄かった。


 ――それから数分後。居間にある長方形の机の上には、熱湯が注がれた二個の即席麺とその手前に二膳の箸が置かれていた。

 ユウタ達は木製の椅子にそれぞれ座ると、一緒に手を合わせた。


「「頂きます」」


 そしてユウタ達は即席麺の蓋を開けると、箸を使って、スープの中に浸かった麺をすすりながら食べる。

 意外にもナナシは箸を上手に扱えるらしく、多少持ち方が悪いユウタよりも綺麗で真っ直ぐな持ち方をしていた。


「意外と美味しいですね。調理の手間も省けて、お手軽です!!」

「ナナシの所は、相当大変そうだけどね」

「はい……。とても」


 ガスや電気を一切使用しない生活をしていれば、尚更だろう。

 文明が発展しなければ、こういった即席麺に出会う事も無かったのだから。


 ユウタ達は即席麺を食べ終わると、ナナシはユウタにゴミ箱の場所を聞き出して、即席麺の紙容器を片付けた。

 そしてユウタは浴室へ向かう前に、一度ナナシに声を掛けた。


「じゃあ、自分は先に湯を沸かしに行って来るね。ナナシはここで待ってて良いから。あと湯がはり終わったら――」

「え!? あの――!! お風呂って何ですか!?」

「あぁ……。そうか。ナナシは分からないか。要するに、温かい方の水浴びだよ」


 ――ッ……!! そんな物が……!!


 ユウタの話を聞いて、ナナシに衝撃が走る。

 するとナナシは頭を抱えながら、嘆き始めた。


「あぁ……」

「どうした?」

「人間、なめてました……」

「だろうね……」


 頭を抱えるナナシを横目に、ユウタは居間を出る。

 その後。ユウタは長い廊下を通り抜け、奥の脱衣所へと向かった。



   ◇ ◇ ◇



 脱衣所に着くと、ユウタは先に靴下を脱ぎ、ポイッと洗濯籠に投げ捨てる。

 そしてそのまま裸足の状態で、ユウタは浴室へと入った。


 シンギュラリティでは浴室とトイレが一緒になったユニットバスが主流であり、清掃などを考慮した上で、殆どの住宅地では採用している。

 ――だがユウタの父親――斉藤和真は頑なに和式を好んでおり、シンギュラリティ製のユニットバスに対して駄々を捏ねた結果――、浴室とトイレは脱衣所を挟む事でそれぞれ分割され、浴室に関してはシャワー付きの和式浴槽と、室外に設置されたガス給湯器によって、追い焚き機能や給湯に優れた魔改造さを誇っていた。


(そのせいで父さんだけ、シンギュラリティの役所を出禁にされてたっけ?)


 幼い頃の思い出に微笑みながら、ユウタは片手で浴槽の真下にあるゴム栓を外すと、浴槽内に溜まった水を全て流した。

 その後。浴室や浴槽内を軽く清掃し、ゴム栓を付けた後――ガス給湯器で予め湯量を設定してから、ユウタは蛇口の赤いハンドルを回した。

 すると機械の通知音と共に、ガス給湯器によって温められた熱湯が蛇口から浴槽内へと入っていく。

 それを目視で確認し、ユウタは浴室を後にした。


 ユウタが脱衣所から居間へと戻って来ると、ナナシは椅子に腰掛けて座りながら、液晶テレビの映像を無表情で眺めていた。


「面白い?」

「全く……」

「そう……」


 液晶テレビの映像からは、現在流行中の二人組の芸人が面白いネタを披露していた。

 ネタが終わる度に観客席からは笑い声が聞こえ、もし視聴者が面白くなくても、観客や番組を盛り上げる司会者達の相乗効果によって、つい視聴者も笑ってしまう為、番組的には成り立っている。

 ――だがナナシは芸人や観客が何故笑っているのか全く理解出来ず、ただ暇を持て余していたに過ぎなかった。


「ナナシ」

「ん? 何ですか?」


 ユウタの呼び掛けにナナシは気軽に応じ、ユウタの方へと振り向く。


「そう言えばあの時。ナナシが『一人前にして欲しい』って言ってたけど、アレってどういう意味なのか、教えてくれる?」

「はい。出来ますよ。説明も無しに、何も出来ませんから」


 ナナシはリモコンを扱って、液晶テレビの電源を消した。

 そしてユウタはナナシと向かい合わせになる様に椅子へ座ると、ナナシは少し間を空けてから、ユウタに説明をし始めた。


「私の世界にある日突然、魔物が現れました。最初は魔獣が現れていましたが、日に日に魔物の強さが上がり、最近では石の巨人が現れる様になりました」

「何そのファンタジー展開……」

「ふぁんたじーって、何ですか?」


 ファンタジーを知らないナナシが、不思議そうに首を横に傾げた。


「ああ……。自分達の世界に魔物なんて物騒な生き物、一体も居ないからな。ファンタジーって言うのは、魔物を含んだ想像上の生き物達が居る世界の事だよ」

「そうなんですね」


 ナナシは微笑むと、説明を続けた。


「私には家族が二人居まして、一日に一度、現れた魔物との戦闘が始まります。私は唯々傍観するのみでして、その戦闘に参加する事さえも出来ません……」

「じゃあ一人前って言うのは、その魔物との戦闘に参加する事?」

「はい。私の家族ばかりに負担を掛けたくは、ありませんので……」

「戦闘経験は有るの?」

「いいえ。ですが私には、レゾナ特有の秘められた能力が眠っているそうです。私の家族もその能力を使用して、魔物との戦闘をしている場面を、私も何度か見覚えがあるので……」

「使い方は分かるの?」

「――いいえ。祭壇に行けば何か分かるそうですが、私――文字が分からないんですよね……。ユウタの話す言葉までは、理解出来ていますが……」

(身内は教えてくれないか……)


 魔物との戦闘にナナシを巻き込みたくない家族に、家族と協力して一緒に戦いたいナナシ。

 魔物と戦闘する為には、ナナシの種族でもあるレゾナの秘められた能力を使用する必要がある。

 それにはまず前提として、ナナシ自身がその能力を習得しなければならないが、家族からは気軽に教えて貰えないようだ。

 祭壇と呼ばれる場所に行けば、何か能力について判明しそうではある――だがナナシは文字が読めない。


「じゃあその祭壇に、自分も一緒に行けば……。いや、自分も文字が分からないかも……」

「その時は、その時です!」


 すると浴槽の湯張りが完了した通知音が、ユウタ達がいる居間から小さく聞こえた。


「じゃあ通知音が鳴った事だし、ナナシは先にお風呂に入って。たぶんナナシの方が、汚れてると思うから」

「え? 私って……、そんなに臭いですかね?」

「そう言う訳じゃないよ。今日ナナシが、どこを歩いて来たのかも分からないし、自分が先だと逆に家の中を探されるのが面倒だからね」


 ユウタの言葉にナナシは共感し、そして納得する。

 確かにナナシが居間で寛ぐ事は勝手だが、ユウタが目を離した隙に何かが起こると、都合が悪くなるのはこの家に住むユウタ本人だった。


「ああ……。分かりました。では、場所を教えて下さい」

「分かった」


 ユウタはナナシを連れて、長い廊下を通り抜けて、脱衣所へと案内した。


 ユウタ達は脱衣所に着くと、先にユウタは脱衣所の中に設置された洗濯機の説明をした。

 そして説明が終わる頃には、ナナシは乾燥機能付きの洗濯機の魅力に、思わず目を光らせていた。


 ユウタは洗濯機の中に服を入れる様にナナシへ指示し、その後。ユウタは一度詫びを入れた。


「ごめんね。服ぐらいしか洗濯出来なくて」

「いいえ。私もまさかここで寝泊まりするとは、考えてもいませんでしたので……」


 ナナシの言葉に、お互いに苦笑する。


「じゃあ自分は、居間に戻るよ」

「分かりました」


 ユウタは脱衣所を後にして、ナナシが着れそうな服を探しに行く。

 そしてその同時刻。ナナシは浴室へと入り、初めての風呂を思う存分堪能していた。


 ――それから数十分後。ナナシは意気揚々と浴槽から上がり、脱衣所へと向かった。

 すると脱衣所の棚の上には、ユウタが用意したであろう灰色の寝間着とバスタオルが置いてあり、ナナシはほっと溜め息を吐いた。


 ――流石にタオル一枚じゃなくて、良かった……。


 実はナナシには嫌な思い出があり、家族の一人の無茶ぶりによって、一度羞恥心を覚えた事がある。

 それはナナシが水浴びをした直後。元々着用する予定だった服を汚されてしまい、タオル一枚にさせられたことだ。

 それ以来。ナナシは水浴びの際、絶対に汚されまいと細心の注意を払う様になっていた。

 ――だが今回。ナナシはお風呂の誘惑に負けてしまい、寝間着の事まで頭に入っていなかった。

 幸い。ユウタが寝間着を用意していたから良かったものの、もし何も無くてタオル一枚だったと思うと、背筋が凍るというよりも先に、あの嫌な思い出が蘇ってしまっていただろう。


 ナナシはバスタオルで全身を拭くと、その灰色の寝間着を着用した。

 その後。ナナシは脱衣所を後にして、長い廊下をを通り抜け、居間へと向かった。


 ナナシが居間へ着くと、ユウタはソファーでくつろいでいた。

 すると偶然にもナナシはユウタと目が合ってしまい、ドキッと動揺しながら、ナナシは後退ってしまった。

 ユウタはというと、廊下から足音が聞こえて来たので、ナナシだろうと思い、じっと廊下を見つめていた。

 すると案の定。灰色の寝間着姿のナナシが現れた。

 ――だがその瞬間。ユウタは偶然ナナシと目が合ってしまい、そして何故かナナシが後退る姿を目撃し、現在に至る。


 ユウタはナナシに対して、一度溜め息を吐いた。

 その後。ユウタは何食わぬ顔をしながら、ナナシに話し掛けた。


「おかえり。湯加減は、どうだった?」

「とても、気持ち良かったです……」

「それは良かった。それと、その寝間着。自分のお下がりだったけど、その調子だと大丈夫そうだな」

「はい。この寝間着には感謝しかありません。本当にありがとうございます」

「じゃあ、自分は風呂に入るから。ナナシは居間で寛いでて」

「分かりました」


 ユウタはソファーから立ち上がると、そのまま脱衣所へと向かった。


 ――それから数十分後。ユウタは浴槽から上がると、脱衣所に行った。

 脱衣所の棚から新しいバスタオルを取り出すと、全身を拭き始める。

 そしてバスタオルで全身を拭き終わると、ユウタは黒色の寝間着を着用した。

 その後。ユウタは脱衣所を後にして、居間へと向かった。


 ユウタが居間へ着く頃には、ナナシはソファーで気持ち良さそうに転寝うたたねをしていた。

 時刻は、午後十時を過ぎている。

 健康に気を遣う人ならば、午後九時の時点で就寝していてもおかしくはない。


(もうそんな時間か……)


「あぁ……。すみません。少し眠気がさしてしまい……」

「じゃあ、もう寝るか。ナナシの分のベッド、今から準備して来るよ」

(布団は余分に有るんだし、自分が床で寝れば、ナナシは大丈夫だろう……)


 するとナナシが突拍子もない発言を言い出した。


「あの……。私はユウタと一緒に寝ても、構いませんよ?」

(はい!? 今何て……??)


 ユウタは動揺を隠せずに、心臓だけが激しく鼓動する。

 そして完全に言葉を見失い、ユウタはナナシとの会話に少し間が空いた。


「…………。いや――自分が恥ずかしいと言うか……」

「恥ずかしい? どうしてですか……?」


 ナナシは本当に何も分からないのか、不思議そうな表情を浮かべながら、首を横に傾げた。


 ナナシと言えど、相手は女の子。

 ユウタも幼少期までは、唯一の幼馴染である女の子――梓と、一緒のベッドで眠った事がある。

 ――だが思春期が訪れてからは、ユウタはそういった行為全てが恥ずかしくなってしまった。

 現在においても、梓は正樹と一緒だと何もして来ないが、二人っきりになるといつもの様に誘いに来るので、ユウタは梓の誘いを全て断っていた。


「それは……」


 ナナシの桃色の瞳は微動だにせず、今もじっとユウタを見つめていた。

 ただユウタと一緒に寝たいと、目で訴えている様にも伝わってくる。

 ナナシのその真剣な眼差しからは、とても悪意がある様には見えなかった。


(純粋無垢とは、きっとこういう人の事を言うのだろうか……)


 ユウタは一度深い溜め息を吐いて、激しく鼓動する心臓を鎮める。

 そして――


「分かったよ……」

「ふふ、ありがとうございます」


 ユウタはナナシの押しに負けると、ナナシはユウタを見て微笑んだ。


「じゃあ、行くぞ」


 ユウタは居間の明かりを全て消灯し、ナナシを連れて寝室へと案内した。


 ――それから数分後。ユウタは部屋の襖を開け、ナナシを先に行かせてから寝室へと入る。

 寝室は四畳の小部屋であり、壁側には小さな本棚や収納棚、そしてシングルベッドが設置されている。


 家族が亡くなる前まで、ここは寝室ではなく、元々ユウタ個人の部屋だった。

 ――だが亡くなって以降。亡き主治医の指示のもと――部屋の配置を変える為に、シンギュラリティの役人達が元々この部屋に置いてあった勉強机を破棄し、家族の寝室からシングルベッドをここまで移動させたそうだ。

 そして家族の私物でさえも、必要最低限の物以外は全て廃棄されていた。


 亡き主治医が言うには、いつまでも見慣れた空間にいれば、ユウタがまたあの時の記憶を思い出してしまい、やがて廃人と化す。

 そうなれば都合主義のシンギュラリティに目を付けられ、それ以上の苦痛を味わう羽目になるかも知れないからだ。


「ここが寝室ですか?」

「ああ――結構狭いだろ?」

「い、いえ!! 足の踏み場があるだけでも充分ですよ」


 ユウタはベッドの掛け布団をまくると、ベッドの上に座りつつ、壁際付近まで移動する。

 そしてユウタはそのままの状態で仰向けになると、枕の上に頭を乗せた。

 ポケットコイルマットレスによって体圧分散され、身体の凹凸おうとつ部分が柔らかいマットレスの中へと沈み込んだ。

 するとナナシは何の躊躇ちゅうちょもなく、ベッドに横たわるユウタの隣へと入り込む。

 そのお陰でユウタは逆に緊張し、心臓も激しく鼓動し始めた。


「…………。ナナシ?」

「何ですか?」

「緊張とかは……?」

「ん……? 一緒に寝るだけですよ?」

「そうだけど……」


 ナナシにそう言われて、ユウタも確かにそうだと感じて納得してしまった。

 ――だが普通。異性同士ならば、少しは恥じらいがあっても良いだろう。


(何か……、自分が馬鹿みたいだな……)


 勝手に緊張して損した事に、ユウタは気付く。

 その頃には緊張も少しずつ解され、あれ程激しかった心臓の鼓動でさえも落ち着き始めていた。


「でも、ナナシ?」

「…………」

「ん?」


 ナナシの返事が急に途絶え、ユウタはナナシの方へと顔を向けた。

 するとナナシは横向きの状態で吐息を漏らしながら、ぐっすりと眠っていた。


(可愛い……。じゃなくて、寝るの早ッ……!!)


 ナナシはポケットコイルマットレスを知らなかった。

 これ程までに寝心地が柔らかくて、気持ち良く眠れる寝具があるとは、今まで想像した事も無かったのである。

 ユウタとの会話から数分後――元々眠気があったナナシは、マットレスの寝心地の良さに負けてしまい、そのまま熟睡してしまったようだ。


 ナナシの可愛い寝顔を見て、ユウタは少し溜め息を吐いた。

 すると何かの相乗効果なのだろうか。

 寝静まったナナシの寝顔を見ていると、いつの間にかユウタも眠ってしまっていた。




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