☆ ☆ ☆
雲一つ存在しない青空。果てしなく続く雑木林の中に、一際目立つ小さな花園があった。
その花園には、季節にそぐわない様々な種類の花々が所狭しに咲き誇っており、見る者全てを魅了し続けていた。
――だが、この花園を管理する者は誰も居ない。
ただ――強いて言うならば、人間の都市開発によって土地が奪われる事もなく、ただひたすらに自然と共に生き続ける花々にとって、ここは楽園と呼ぶに相応しい場所だった。
するとその花園の周囲に、二人の先客――地べたに座る子供達の姿が見えた。
中学生くらいの黒髪の少年は、この果てしなく続く景色を眺め、黒髪の少年よりも身長が低い薄桜の短い髪の少女は、沢山の白い花で円形状のものを作成していた。
少女は手先を器用に扱い、円形状のものから王冠へと姿形を変えて完成させた。
そして少女は少年に振り向き、その白い花の王冠を少年の頭に載せた。
すると少年はその王冠に気付くと、次第に恥ずかしさが増したのか、少年の顔が赤らめていく。
その表情を見て、少女は微笑んだ。
「流石に恥ずかしいよ……」
「似合ってますよ。□□□」
少女にそう褒められると、少年は白い花の王冠を取る事が出来なくなってしまった。
少年は軽く溜め息を吐き、自分自身を落ち着かせた。
すると少年は一度意識を切り替え、目の前で微笑む少女に話し掛けた。
「ねぇ、□□□」
「ん? 何ですか?」
不思議そうに首を横に傾げた少女は、少年の目を見つめた。
すると微風が靡いて、空中には白い花の花弁が舞い散る。
そして少年は少女に、この世界の真実を――――
☆ ☆ ☆
西暦2007年6月7日。
シンギュラリティ南部――第二教育学区住宅街。
あれから五年の歳月が経過し、家族の死という現実を受け入れた斉藤ユウタは第六総合病院を退院後、無事に小学校を卒業する。
そしてユウタは中学生へと成長し、平凡な日常生活を送っていた。
早朝午前七時。一階建ての小さな一軒家。
ジリリリリンと黒電話の様なアラーム音が鳴り響く四畳の寝室で、静かに熟睡していたユウタが目を覚ます。
携帯電話の目覚まし時計を停止させ、ユウタはベッドから起き上がる。
現在のユウタは小学時代のあの頃とは違い、身体は少し成長していた。
身長は百六十センチ程であり、多少の筋肉は付いているが見た目以上の瘦せ型。短い黒髪に、黒色の目が特徴の男子中学生。
ユウタは窓のカーテンを開けた。
すると眩し過ぎる太陽の光によって、半分眠り掛けていた脳が覚醒し始めると同時に、ユウタは思わず口からあくびが出た。
(また……、不思議な夢を見てしまったな……)
その夢の内容とは、見慣れたシンギュラリティの景色とは遥かに異なる平穏で豊かな雑木林に、一際目立つ小さな花園が存在する世界。
その花園の地面に座る二人の姿――ユウタの隣には見知らぬ少女が一緒に居て、二人は何処か楽しそうな会話をしていた。
本来――人間が見る夢は、時間経過と共に思い出せなくなりがちだが、ユウタが見るこの不思議な夢は、根本的な部分が明らかに異なっていた。
それは長い時間――時が経過していたとしても、何故か脳には大切な記憶として保管されており、その不思議な夢で発生した内容を、ユウタは自発的に全て思い出す事が出来るというもの。
神を名乗る少女クリステルに出会って以降――、ユウタは度々そんな不思議な夢を見る様になっていた。
その不思議な夢は決まって、その後のユウタの未来で確実に発生する。
その為。ユウタも色々と調べてみて、初めてそれが明晰夢――いわゆる未来視だと理解した。
――だが未来視だからと言って、一般的に知られている未来視とは違い、ユウタの場合は、他人にその不思議な夢の内容を公言する事が出来ない。
最初の頃は他人に公言していた――だがその内容の度合いによって、ユウタ自身に事故や体調不良など様々な不運が降り掛かるので、いつしかユウタは、この不思議な夢やその内容を誰にも話さなくなっていた。
ふとユウタは時刻が気になり、時計を確認した。
時刻は、午前七時三十分。
考え事をしていて気付かなかったユウタはすぐに青褪め、大慌てで学校へ行く支度を終わらせる。
黒い長袖の制服を着用し、鞄には教科書などを入れ替えては詰め込み、携帯電話をズボンのポケットへとしまった。
そしてユウタは玄関の扉を施錠して家を飛び出し、アスファルトの道路を駆け抜けた。
――それから十分後。
ユウタは息を切らしながらも住宅街を抜けると、第二教育学区の入り口へと辿り着いた。
無人の入場口には監視カメラが設置されており、通行人は学生や教師以外は誰も居なかった。
ユウタは鞄から識別番号が載っている特別なICカードを取り出すと、入場口にあるスキャナーにかざして読み込ませた。
すると入場口の透明な扉が開き、『ようこそ。第二教育学区へ』と電子掲示板に表示され、ユウタは第二教育学区へと入場した。
シンギュラリティ南部――第二教育学区。
教育学区とは、小中高の三段階に分けられており、小型の監視カメラがない代わりに、各中学校に在籍する者達以外は誰も侵入する事が出来ない。
各学校の校長によって教師や生徒を選出し、虐めによる加害者を発見した場合は、別の学校への移動を余儀なくされた。
――だが明るみに出ない問題事やごく一部の面倒事に関しては、誰も処置を行わない。
それが教師達の暗黙の了解によって、成り立っていた。
弱者が危害を加えた場合は虐めとして処理され、また弱者の精神が耐えられなくなって自殺を試みれば、警察によって一時的に保護される。
加害者にとってこのシステムは楽園であり、被害者にとっては地獄でしか無かった。
ユウタは自身が通う四階建ての校舎――第四中学校に到着した。
生徒側玄関へと行き、ユウタは靴箱から上履きを取り出して、靴から上履きへと履き替える。
そしてそのまま廊下を歩いて、三階の二年生の教室へと移動し、ユウタは黒板がある正面から見て、左下の窓際にある木目調のパイプ机を見つけて、椅子に座った。
「今日もギリギリだったね」
右側から少女の声が聞こえ、ユウタは視線を右へと振り向く。
すると右隣の席に座る黒い長髪の女子生徒がユウタの視線に気付いて、ニコニコと笑っていた。
彼女の名前は、立花梓。
身長は百四十七センチで小さな胸に、腰まで伸びた黒い長髪に薄い桃色の瞳が特徴の女の子。
第四中学校の紺色の長袖セーラー服に、胸元には赤色のスカーフがあり、梓はユウタと同じく夏服の衣替えを済ませていなかった。
「何笑ってんだよ……」
「面白かったから、ついね?」
「今日は考え事してたら、少し遅れたんだよ……」
「ふーん。そうなんだ……。ユウタ? いつも思うんだけど、もう少し早く来れないの?」
「早く行き過ぎたら、暇なんだよな……」
「じゃあ、私と一緒に来る?」
「勘弁してくれ」
いつも一番乗りで教室にやって来る人物が、この梓だ。
梓は特に優等生という訳でもなく、友達が来るまでの間は、いつもクラスメイトを見ながら人間観察をしている。
すると前の席に誰も居ないなと感じたユウタが、梓に問い掛けた。
「そう言えば、正樹は?」
「今日はまだ見てないよ。たぶん遅刻じゃない?」
「正樹にしては珍し……」
「でもまだ遅刻組が来てないから、正樹もその内来ると思うよ」
すると黒板がある正面の引き戸から、男性教師が現れる。
そのタイミングで学校のチャイムが鳴り響き、男性教師は教卓が置いてある中央へと向かった。
彼の名前は、前崎慎二。
身長は百七十八センチ程で黒色のスーツを着ており、見た目は細いが筋肉の付き具合は通常の大人の身体と対して変わらず、濃藍の鮮やかな青紫色の七三分けの短い髪に、瑠璃色の目が特徴の男性。
そして前崎先生は、ユウタ達が居る――この第四中学校二年二組の担任である。
「今から朝礼を始める」
前崎先生は低い声で、生徒達に向けて話し掛けた。
すると黒板側ではない反対側の引き戸が、いきなり激しく開いた。
そこには夏の白い半袖を着用した黒い短髪の男子生徒が、息切れを起こしながらも歩いて、教室の中へと入って来ていた。
「はぁ……はぁ……はぁ……。疲れた……」
「正樹? お前遅刻だぞ? まぁ今回は見逃してやるか……。早く席に着け」
「……ありがとうございます。前崎先生……」
そして正樹と呼ばれた男子生徒は、ユウタの前にある木目調のパイプ机に着席した。
彼の名前は、佐々木正樹。
身長は百六十五センチ程で、眉目秀麗の整った顔立ちとスポーツ万能で瘦せた体付き。短い黒髪に水色の目が特徴の男の子。
そして正樹はユウタと梓の幼馴染であり、両親が居ないユウタのことをとても大切にしている。
前崎先生の号令と共に生徒達は挨拶を済ませ、速やかに朝礼を終わらせた。
前崎先生は生徒名簿を見ながら生徒達の出席を取っていると、引き戸を開ける音が聞こえて視線を向けた。
すると二人の男子生徒とあくびをしながら眠たそうな女子生徒が、ぞろぞろと教室へとやって来た。
「またお前らか……」
前崎先生はその三人の生徒を見ながら、呆れた表情を浮かべた。
彼らは通称『遅刻組』と呼ばれている生徒達であり、いつもは二時限目の後に遅れてやって来る柄の悪い連中だ。
「んだと……、前崎ッ!!」
「まぁまぁ。落ち着けって、鉄也」
前崎先生の言葉に苛立ちを覚えた男子生徒――鉄也は前崎先生を呼び捨てして、前へと踏み込む。
するともう一人の男子生徒によって、後ろから身体を抑えられた鉄也は止められた。
鉄也と呼ばれた彼の名前は、田中鉄也。
身長は百六十八センチ程で体格は良く、黒色のベリーショートに茶色の目が特徴の男の子。
そして止めに入ったもう一人の彼の名前は、篠宮翔平。
身長は百六十六センチ程で痩せ型、センター分けの黒髪に黄緑色の目が特徴の男の子。
この二人は幼馴染であり、本来はユウタ達とは異なる別の中学校に在籍していた――だが二人の評価は悪く、生徒指導の為にこの第四中学校に転校して来た。
腹が立つと怒鳴る鉄也ならともかく、翔平は鉄也と同じく遅刻組ではある――だが、成績は優秀である。
鉄也達の一悶着を他所に、同じく遅刻組である女子生徒がマイペースに自席へと座る。
彼女の名前は、加藤杏子。
身長は百五十センチ程で平たい胸に、肩まで伸びた黒いショートヘアに赤色の瞳が特徴の女の子。
すると杏子は鉄也達に向けて、ボソッと呟いた。
「面倒臭っ……」
反射するかの様に鉄也が杏子に向けて、怒鳴り散らかした。
「んだと……、てめぇ!! 女だからって容赦しねぇぞ?」
「だから落ち着けって……」
「ウザイ。死ね。男だからって、調子乗んな?」
「加藤さんも、火に油を注がないでって」
すると前崎先生はこの地獄の様な光景を見て、深い溜め息を吐いた。
「お前ら、あとで職員室に来い」
「「「えー」」」
「朝礼を妨害した罰だ。来なかったら居残りだからな?」
そう言って前崎先生は教室を立ち去ると、素直に杏子は職員室へと向かった。
鉄也は是が非でも動じず、翔平は鉄也を置いて行けずに諦めた。
前崎先生と遅刻組との一連の流れが終わると、着席していた生徒達もそれぞれ解散し、一時限目前の休憩時間に入る。
そしてユウタは前の席にいた正樹に話し掛けた。
「なぁ……、正樹。今日何で遅刻したんだよ?」
「あー。公園で迷子になってた子を交番に届けてたら、遅刻しちゃって」
「あー正樹。ほっとけないもんね? この前も、近所のお婆さん助けてたから」
ユウタと正樹の会話を聞いていた梓が、正樹のエピソードを語った。
正樹は昔から正義感が強く、困っている人を見掛けたら、一直線に助ける性格である。
その為。正樹自身は善人だが、約束の時間を守れない場合が多く、周りに迷惑が掛かり易い。
「あれはだるかったな……」
「じゃあ助けな「それ以上はダメだよ?」」
ユウタの軽はずみの発言に、梓が会話に割り込むと、そのままユウタを注意する。
ユウタがそれに気付くと、すぐに梓に謝罪した。
「ごめん。梓。言い過ぎる所だった」
「気付けて良かったね」
「ん?? 二人して、何の話してんだ?」
正樹は不思議そうな表情を浮かべながら、首を横に傾げる。
当の本人である正樹が、ユウタの失言に全く気付いていなかった。
ユウタはそんな正樹を見て安堵した。
――それから数分後。
一時限目の授業を担当する教師が教室に入ると、何処か不機嫌そうな表情の杏子が職員室から戻って来る。
何も知らず、呑気に談笑していた鉄也達の顔を見て、杏子は自席へ座り込むと同時に舌打ちした。
すると学校のチャイムが鳴り響き、一時限目の授業がようやく始まった。
◇ ◇ ◇
一時限目、二時限目と回数を重ねながら、体感時間が遅く感じる程の一日の授業が、次々と終わっていく。
ユウタ達が真面目に授業を受けている中、授業が始まって早々に余りにも退屈過ぎたのか、鉄也は既に眠っていた。
四時限目の授業が終わると、給食や昼休みに入り、それから先は五時限目の授業が始まる。
午後の授業は給食で腹が満たされている為か、半分以下の生徒達は授業を受けながらも、居眠りと戦う。
そして六時限目の授業が終了する頃には、時刻は既に三時三十分を下回っていた。
各グループごとに別れて掃除を行い、早めに済ましたグループが教室へと集合する。
その後。それそれの担任教師が教室に入ると、生徒達との帰りの会を開始し、そして下校時間になると、全校生徒達が自宅へと帰って行く。
ユウタ達も前崎先生が教室に入り、帰りの会を済ませた後、生徒達はそれぞれ教室から出て行く。
鉄也と翔平は居残りを放棄して第四中学校から脱走し、前崎先生は「またか……」と呟きながら溜め息を吐いた。
そしてユウタ、正樹、梓の三人が教室を出る際、前崎先生がユウタを呼び止めた。
「斉藤。ちょっと時間良いか?」
「まぁ……。大丈夫です」
「そうか。ありがとう」
すると不思議そうに首を傾げた梓が、前崎先生の方へと振り向いて、話し掛けた。
「何か用事ですか?」
「ああ――済まない。進路相談でちょっとだな……」
「そうですか……。じゃあユウタ、また明日!」
そう言って梓はユウタに手を振り、そのまま正樹と一緒に教室を出た。
そして教室には前崎先生とユウタのみとなり、前崎先生が本題へと入った。
「今朝――立花に聞いた話なんだが、考え事をして遅刻し掛けたそうだな。あれから五年……。僕で良ければ、ユウタの悩みの一つぐらい聞く事は出来るが……?」
「…………。別に大した事ではないので、大丈夫です」
――心配して、損した気分だな……。まぁ大事にならないだけ、まだマシな方か……。
「そうか……。分かった」
シンギュラリティでは身寄りのない未成年者を対象に、特定の区域内で一箇所に集める取り組みをしている。
前崎先生はユウタの父親――斉藤和真の親友であり、事故で両親を失ってしまったユウタを養子として迎える事はしなかった。
――だがそれでも前崎先生はシンギュラリティのやり方を批判し続けた結果、ユウタが成人するまでの間は、この慣れ親しまれた環境に留まらせてくれた人物でもある。
そんな前崎先生であっても、ユウタは口が裂けても、明晰夢については一切話せていない。
もし話したとしても、子供の冗談話だと不貞腐れた挙句、五年前の事故による脳の後遺症、もしくは精神そのものに異常があると、誤解されるからだ。
「じゃあ、もう帰って良いぞ」
「失礼しました」
前崎先生は早々に、ユウタを解放させた。
するとユウタは前崎先生に一礼し、教室を後にした。
階段を使って三階から一階まで下り、ユウタは生徒側玄関へと向かった。
下駄箱の靴を履き替えて外へと出るまでに、放課後の部活動に励む生徒達の姿を何回か見掛けた。
部活動をすれば自由時間が無くなるという理由から、ユウタを含む梓達も帰宅部だ。
運動系や文化系など少々の地味さは有るが、それでも今後の進路に深く関わるので、生徒の必死さが常に感じられる。
高校生になれば自由度が増し、魅力的な部活動に出会えるらしいが、万年帰宅部のユウタには実感を得る事はなく、将来の事すらも考えていない。
その後。ユウタが第四中学校を立ち去ってから、約三十分が経過した。
遅刻寸前だった朝とは違い、帰宅中ぐらいはゆっくり歩きたいものだ。
それでも前崎先生がユウタを呼び止めたお陰で既に日は落ち、街灯からは橙色の明かりが点灯し始めており、景色は見渡す限り夜に近い夕方へと変化していた。
そして第二教育学区の出口である無人の入場口が見えた。
ユウタは鞄から識別番号が記載された特別なICカードを取り出すと、入場口にあるスキャナーにかざして読み込ませた。
入場口の透明な扉が開くと同時に、『本日のお勤め、ご苦労様でした』と電子掲示板に表示され、ユウタは住宅街へと歩き始めた。
するとその近くの交差点の信号機が、青色から急に点滅し始めて赤色へと変わり、ユウタは歩道で立ち止まった。
信号機によって、さっきまで停車していた乗用車が、エンジン音を吹かしながら次々と動き出し、そのまま二車線道路を時速六十キロメートルの速さで駆け抜けた。
(運悪……)
歩道の隣を擦り抜ける乗用車を見ていると、ユウタは未だにあの頃の事故の記憶が蘇る。
ユウタは乗用車に乗れない訳ではない――だがそれでも、高速で駆け抜けていく乗用車に慣れる事はなかった。
(こんな時――もし家族が居たら……、きっと慰めてくれるだろうか……)
家族が居て、友達と明け暮れた毎日を送り続け、やがて大人へと成長し、自分自身の人生を楽しみつつも、家族や出会った人々を最後まで大切にしながら、そしてこの世を終える。
一般人として生まれたならば、きっとその人生で間違ってないだろう。
――だが自身が成長するまでに、最も早死する人物は決まって家族であり、仲の良い友達でさえも、十年も月日が経過すれば、誰かが急に亡くなっていてもおかしくはない。
ただユウタの様に、明晰夢という未知の超能力に苦しむ事は、一般人からは誰も理解出来ない話だった。
未来視。この世に存在する未来視は、人々の理想から生まれた紛い物に過ぎず、本物の未来視は常に孤独が付き纏う。
そして今後の人生においても、一般人の様な明るい未来が訪れる事は無いと、ユウタでさえも確信していた。
(もし死ぬなら、今が丁度良いのかな……?)
そう感じたユウタは歩道を無視して、一歩、二歩と前へと進む。
すると突然――ユウタの後ろから誰かが抱きついた。
咄嗟にユウタが背後を振り向けば、目の前には見ず知らずの少女が、ユウタの身体を抱き寄せていた。
彼女の身長は百四十六センチ程であり、薄桜の短いボブカットに橙色の瞳が特徴の少女。
白色で素朴な長袖のワンピースに同じく白色の靴を履いており、密着すれば分かる程小さな胸の感触が身体から伝わってきた。
「君は……??」
ユウタが少女に問い掛ける。
すると少女はユウタから離れ、申し訳無さそうな表情を浮かべながら、急いでユウタに頭を下げて謝罪して来た。
「驚かせてしまって、申し訳ありません!! 俯いた表情を浮かべてましたので、つい……、私が貴方に抱きついてしまいました!!」
(はい?? あー。等々表情にまで出てたのか……。何か気まずいな……)
ふとユウタは信号機を確認する――だが信号機は未だに赤から変わっていない。
(この子には悪いけど、青になったら、さっさとここを去ろう)
「あの……。私で良ければ、何でも相談に乗りますよ?」
「ごめん。流石に初対面の君とは、話せないよ」
知らない人とは関わらないというのが、この世界の常識だ。
その人物が大人ではなく、子供の姿をしていても信用する事は出来ない。
すると信号機が青色に変わる。
その直後。ユウタは横断歩道を飛び出す――だがユウタは少女に腕を掴まれた。
「待って下さい!! このままだと、貴方が危ないです!!」
「君には関係ないだろ!! 離してくれ!!」
「嫌です!! 離しません!!」
強く握られた少女の手をユウタは振り解く事が出来ず、時間だけが過ぎていく。
そして信号機は青色から点滅し始め、その後――赤色へと変わる。
ユウタは苛立ちながらも元来た道へと戻り、少女に向き合うと、ユウタは溜め息を吐いた。
「……それで、自分が相談すれば、君は納得してくれるのか?」
「はい!! 誓います!!」
少女は自信満々に無い胸を張る。
勢いに流されない様にユウタは無言で黙っていると、少女は一度溜め息を吐き、ユウタの目を見つめた。
「私をそこまで警戒してるなら、貴方が私に何か条件を付けて頂いても、私は構いません。私はただ――貴方が苦しむ姿を見たくありませんので……」
少女の言葉に、何故かユウタは惹かれるものがあった。
今まで人生に関わる程大切な相談に乗ってくれる様な人物が、誰一人として居なかったからだ。
どうせ笑われるか、頭のおかしい子として、付き合わされていたからでもある。
それが鬱陶しくて、嫌いで、我儘で、時には第三者の未来を視て欲しいと頼み込まれる事もあった。
「…………。じゃあ自分が話した後に、君が最も大切にしている秘密を、一つ教えてくれるか?」
すると少女は深い溜め息を吐いた。
そして見た目からは想像が出来ない程の毒舌を披露した。
「……分かりました。貴方の目を見れば、普段から口を割らなそうな人間に見えますし、初対面だからこそ、仕方がありませんね。貴方の相談に乗る代わりに、私が最も大切にしてる秘密を話すなんて、普段の人間なら、思い付く事でもありませんしね」
「人間差別かよ?」
「早く話して頂けませんか? 私も忙しいので」
ユウタは溜め息を吐きながら、重い口を開いた。
「……自分は、不思議な夢を見るんだよ」
「夢……ですか?」
「ああ――その不思議な夢は普段見る夢と違って、何年後か先の未来に必ず、自分の人生に干渉するんだよ」
「未来視? ただの人間に超能力が使えるなんて、素晴らしい事ではありませんか?」
少女は驚きを隠せずに目を見開く。
ユウタからすれば、その反応は既に見飽きていた。
「…………。この不思議な夢は、世間一般的に語られている未来視とは異なって、必ず事象が発生し、誰も止める事が出来ない。そして自分がこの不思議な夢の内容を誰かに語った時、自分に不運が起きる」
「それでも未来視を持っているのなら、素晴らしい事だとは思いませんか?」
「あんな物、どこが素晴らしいんだ!! 何もかも予知されて、面白い事なんて何一つも無かった……!!」
少女の言葉に耳を傾けずに、ユウタは逆に少女を怒鳴り付けた。
「そうですか……。私の失言でしたね。すみませんでした」
少女は頭を下げ、深く謝罪した。
自らの失言を素直に認める少女に、ユウタは少し驚いた。
ユウタの人生上――今まで謝罪する人物など、誰一人いなかったからだ。
「…………。別にそこまでしなくて良いよ。自分も怒鳴って、悪かったと思ってるし……」
「ですが……」
少女はユウタの困っている表情を見て、無理に踏み込まず、謝罪する事をやめた。
「……だったら、今回はお互い様という事で、構いませんか?」
「ああ」
ユウタが頷くと、少女は微笑んだ。
「もしかしたらまた、私の失言になるかも知れませんが、それでも構いませんか?」
「別に良いよ」
「貴方には、将来の夢がありますか? 見たところ。中学生でしたので」
「将来の夢? ……無いよ。最近は生きる価値も無くて、命を絶とうかとも考えてたぐらいだよ」
「そうですよね……」
少女は苦笑し、またしても失言だったと改めて後悔する。
ユウタの相談を受けたものの上手く会話が成立せず、それに加えて自らの非によって、段々罰が悪くなる一方であり、次第に少女はユウタに話し掛け辛くなってしまっていた。
すると次はユウタが、少女にふと話し掛けた。
「じゃあ、君の将来の夢は?」
「……私ですか!?」
「そうだけど?」
少女は考え事に気を取られ過ぎて、凄く困惑した表情を見せた。
例えるならば、大勢の中から、自分のみを指名された時の様な感覚だった。
「私は……、ですね。人間の様に、人生を謳歌して見たかったです。すみません――私。こう見えて、人間では無くてですね……」
「人間じゃない!?」
「はい。私は人間ではなく、レゾナと呼ばれる種族でして、そしてそれが私の最も大切している秘密の一つでした。だからこそ私は、人間の様に人生を謳歌して見たかったんですよ」
少女は苦笑交じりに、自らの叶いもしない将来の夢を明かした。
「本当はこの秘密を話す事は禁じられていまして、帰ったら、私の保護者に怒られてしまいます。貴方のその不思議な夢と似ていますね」
お互いに大切な秘密を隠していた点を踏まえれば、確かにどちらも変わらない。
――だがユウタの場合は誤魔化されるが、少女の場合はきっと、シンギュラリティの危険人物として、指名手配されるだろう。
「あの……、一つ。私と約束しませんか?」
「金輪際。私と関わらないで下さい、とか?」
「違いますよ!!」
(え? 違うの??)
人間では無い時点で、危険な香りを漂わせている事実は変わらない。
だからユウタは敢えて、行動の先読みをしてみせた。
――だが少女は大袈裟ながらも真っ向から否定して来たので、ユウタは不思議と首を横に傾げてしまった。
「貴方の人生を私に見せて下さい。その代わり、私を一人前にして頂けませんか?」
「えっと……、どういう事……??」
「ここでは詳しく話せないので、お願いします!!」
少女は頭を深く下げ、ユウタに頼み込む。
ユウタは頼まれると断れない性格のお陰で、溜め息を吐きつつも、仕方なく承諾する。
「……分かったよ」
「ありがとうございます!!」
微笑む少女を見て、ユウタは軽く自己紹介をした。
「自分の名前は、斉藤ユウタ。君の名前は?」
「私は……、ありません」
「名前が無い訳が無いだろ」
「本当に無いんですよね……。私の保護者からも、名前で呼ばれる事が無くて……、ですね……」
ユウタは困った表情の少女を見て、何も考えずに納得し、適当な名前を少女に名付けた。
「分かった。じゃあ、ナナシで」
「安直過ぎではありませんか?」
「じゃあ名無しの権兵衛でも?」
「それはもっと嫌です!!」
名前が気に食わないのか、少女――ナナシはユウタに猛反発した。
――だがユウタは、ナナシのその反応を見て微笑んだ。
「笑わないで下さい!!」
「ごめんごめん。つい、面白かったから……」
「名前で笑う人なんて、私――初めて見ましたよ」
いじけたナナシが、ついユウタに毒を吐く。
するとその言葉が、ユウタの心に鋭い刃となって刺さる。
確かにそうだなと感じる程、ユウタは後になって後悔し始めた。
――だがナナシとの距離を強引に近付けさせる為には、こうする以外に方法が見当たらなかったのは、言うまでもない。
(人間の様に、人生を謳歌か……)
将来の夢というよりも、ナナシの願いに近いその言葉は、ユウタも同感だった。
ただユウタの場合は実際に死亡しなければ、その願いを叶う事が出来ないので、不可能だと感じて以降――その願いは対象から既に外れていた。
ナナシとの会話が長引き、ふとユウタが辺りを見渡せば、外は既に夕方から暗い夜へと変貌していた。
一度解散しても良いだろうと感じたユウタは、ナナシに話し掛けた。
「じゃあ一旦、自分は帰るよ。またね」
「待って下さい!!」
「何?」
ナナシが咄嗟にユウタを引き留めると、ユウタは不思議そうに首を横に傾げた。
するとナナシは何故か恥ずかしそうな表情を浮かべながら、ユウタに話した。
「実は……その……、初めて人間の世界に来まして……」
「だから?」
「帰れなくなっちゃいました……。私……、本当は迷子なので、助けて下さい!!」
ユウタは溜め息を吐き、そっとナナシを見つめた。
「……分かったよ」
「ありがとうございます」
――それから数分後。信号機が青色に点灯し、ユウタはナナシを連れて横断歩道を渡る。
そしてユウタ達は住宅街へと歩き始めた。