亘は鍵を使って個室部屋の扉を開けた。
すると先行して部屋に入ったのは、亘ではなく虎太郎だった。
虎太郎はさっさと自席に着いて、お目当てのVRSを手に取りながら我を忘れて眺めた。
(前言撤回。虎太郎は反省してないな)
俺達も個室部屋へ入ると、机にはそれぞれ三人分のハイスペックパソコンとヘルメット型VRS、そしてその隣にはパソコン初心者でも分かり易く作られたガイドブックも置かれていた。
それを見た瞬間。俺達でさえも興奮したが、自分にはまだ早いと言い聞かせるように唱えると案外冷静になれるものだ。
俺と亘はそれぞれ余りの席に着いて、まずはパソコンの電源を入れる。
既にパソコンに接続されたVRSを見ると自動で電源が入り、本体中央のVRSと書かれたロゴが緑色に発光する。
パソコンが起動すると最初にホーム画面が表示され、目で追いながらプリインストール済みのフリーのアイコンを確認した。
そのアイコンには見覚えのない美少女の絵が描かれ、登場人物なのか、オリジナルキャラなのか、初めてプレイするには区別さえ出来ない。
だがそれでもVR特有の未知なる体験に心が惹かれてしまい、もうそろそろ我慢の限界に近付きつつある。
すると今までVRSに見惚れていた虎太郎が、偶然俺達と目が合う。
少しそのまま硬直状態が続いて、ふと何か思い出したと思えば、風船が破裂したかのように虎太郎は大慌てでパソコンの電源を入れた。
それを生で見た俺はつい笑ってしまい、さっきまで思っていた感情が吹き飛ぶ。
(ありがとう。虎太郎のお陰で助かった)
心の中で俺は虎太郎に感謝のエールを送り、フリーをダブルクリックした。
「俺はVRSの接続手順なんて、まったく知らなかったけど。大丈夫そうだな、亘」
「ああそうだな、魔王様。もうここまで準備されてたら、虎太郎は必要なかったな」
「酷いよ。亘君」
損したなーと亘は感じていると、虎太郎がそれに気付いて呟いた。
そんな虎太郎を見て、俺はこっそり虎太郎のモニターを覗くと逆に驚かされた。
一番出遅れていた虎太郎が、俺達よりも先に更新の読み込みすらも終わっていたからだ。
「亘君、ごめん。僕は先に行くね」
「早っ! まさかそれ、噂で聞いた上級者向けに発表された高度な裏技か……」
虎太郎は上機嫌で頷くと、やれやれと亘はもうお手上げ状態だ。
(何だよそれ。俺は初耳だ。そんなチートあるなら教えろよ)
俺の心の叫びが聞こえたのか、虎太郎は口を開いた。
「ホムっちには不可能だよ。だって中のデータをごっそり追加して変換したり、それを書き換えたり。そして……」
「もう言うな!」
虎太郎の軽々しく言った言葉に気付き、亘は大声で叫ぶ。
「わかったよ、亘君。じゃあ僕は行くね。アルカディア周辺の街以外は出ないから探してね。〝プレイ・リンク〟」
怯んだ虎太郎はVRSを頭に装着しながら目を閉じて、VRSの起動コマンドを言い捨てた。
沈黙の後。時間だけが過ぎていき、やっと俺達の読み込みが終了した。
あとはVRSを装着するのみとなったが、流石に落ち着かないので俺は亘に話し掛けた。
「大丈夫か亘。俺はさっきの事、気にしてないからさ。早くゲーム始めようぜ」
「嘘だな、魔王様。魔王様も少しは傷ついている癖に……」
笑うしかなかった。
確かにさっきのは暴言としか言いようがなかった。
人に不可能というのは、その人物を侮辱しているようにも聞こえるからだ。
「わかったよ。始めよう、魔王様。今までやりたかったゲームが冷めちまう」
亘がVRSを頭に装着するのを見て、俺もVRSを頭に装着した。
「ああ。今日は楽しもうぜ、亘」
「魔王様もな」
「「〝プレイ・リンク〟」」
俺達は目を閉じて、二人同時にVRSの起動コマンドを言う。
すると俺の意識は虚空へと飛ばされ、世界は真っ黒に染まった。
◇ ◇ ◇
周りから七つの光が放射され、中心に虹色の円が描かれた。
円はだんだん大きく広がり、世界は黒から白、空色へと変化する。
それが空なんだと気付くより先に地面と思われる場所には草原が広がった。
そしてようやくVRMMORPG、フリーというメインタイトルが表示され、ユーザーに負荷がかからないように施された小さめのモニターが表示された。
モニターには新規登録、引き継ぎ、オプション、ヘルプと項目があり、俺は引き継ぎに手を触れた。
引き継ぎに必要な物は、ユーザーIDとパスワードのみというシンプルさ。
パスワードといっても、公式から配布される当日のみ有効の十六桁のパスワードが必要なので盗まれる心配はほとんどない。
俺はタッチパネルでアカウントIDと十六桁のパスワードを入力する。
アカウントIDは、ホムラ。
ゲームだからといって、俺は名前を変えることなんて出来なかった。
その結果がリアル割れをしてしまった。
フリーで知り合った仲間の一人、虎太郎がまさか俺の通う鳳凰高校入学初日にばったり鉢合わせするなんて思いもしなかったからだ。
今となっては笑える話だ。
俺は決定ボタンに触れると、キャラメイク画面が開かれたがスキップした。
何故かと言えば、フリーは他のオンラインゲームと違って、性別や容姿のほとんどはVRSのスキャンによって確立されるので変更が出来ない。
だからといって現実の自分に似せている訳ではなく、肌や顔、髪色などはキャラメイクで自由に変更が可能だ。
そしてようやく引き継ぎが完了すると、さっきの虹色の円が突然目の前に現れ、虹色の光を放つと世界は真っ白に染まった。
◇ ◇ ◇
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【始まりの都市アルカディア】
七つの都市の中で最も古くから存在し、冒険者達が訪れる最初の都市。
アルカディア中心にはオルタナ王国があり、また周辺にある城門を越えれば、緑豊かな草原や洞窟など冒険初心者達の狩場がある。
最初の都市とあって主に大手ギルドが多数存在する為、治安も良好。
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オルタナ王国、中央付近にある集会広場に虹色の光が現れる。
虹色の光は魔法陣へと形を変え、その魔法陣から俺は現れた。
「ここが、仮想世界……」
俺はそう呟きながら、見慣れない景色に放浪しつつも周囲を見渡した。
昼間だと言うのに、集会広場の周りには人で溢れていた。
ギルドを募集する若者やアイテムを売買する女性、クエスト待ちの少年や死に戻りして来た青年など。
今まで画面上でしか体験できなかった事が、今こうやって周囲を見渡せば手に取るように伝わって来る。
(やばい。このままだと感動のあまり、何も言えなくなってしまうな)
今俺が味わっている光景は、仮想世界だと言うのに……。
するとその光景に感動する俺に向かって、ふっと差し込むようにボロいローブの魔法使いが真横を横切った。
残念ながら魔法使いの顔は見えなかったが、その魔法使いが装備する金色の細長い杖や身長に見覚えがあった。
(あれって、アキラか?)
否。見間違いだろうと、そう決めつける。
そう簡単に知り合いに出会える訳ではない。それがオンラインゲームなのだから当然の事だ。
アバターの外見は似てても、それを操作する人間は全く別の人物なんだ。
だから俺はあえて、その魔法使いに話し掛けなかった。
魔法使いが過ぎ去って、ようやく俺はある事を思い出した。
「そう言えばアイツ等の事、すっかり忘れてたな」
(早く準備を終えないとアイツ等の事だ。あとで何か言われると、元も子もないしな……)
メニュー画面を表示させ、設定画面を開いた。
その中の項目にある五感の調整を開きつつ、追加でもう一つメニュー画面を表示させ、装備画面を開いて装備を整えていく。
五感の調整と装備が整え終わり、背中の鞘から黒い太刀、デーモンスレイヤーを引き抜く。
黒曜石で作られた柄に妖しく光る紫色の刃が特徴の太刀だ。
重量は剣より少し重いが、太刀は両手持ちが基本だから然程戦闘に影響はない。
だが対人戦となれば、技量と能力に左右されるので太刀は中級者向けだ。
それにこの太刀は対魔王戦特化型。
要するに、俺みたいな魔王持ちにキラーが発生する代物だ。
俺は仮想世界で初めて手にした自分自身の武器に思わず興奮し、どうしても格好良いこの太刀を振りたくなってしまう。
すると俺の思考よりも先に、遠くから知り合いの叫び声が聞こえた。
「魔王様、早いって! ここは安全地帯だから!」
その声が聞こえた方向に振り向けば、亘の顔をしたブリキと虎太郎の面影があるコタが、装備を整えた状態で俺の元へ現れた。
そんな二人を見て、俺は太刀を鞘に納めた。
「悪い悪い。つい……、な」
頭を掻きながら俺はブリキに呟くとそんな俺の行動を見て、コタは調子に乗って俺に話し掛けた。
「もう! ホムっちは妖刀に溺れて」
「おい、コタも一緒だろ! 俺を見つけた瞬間。スキルを発動させながら、二刀流で襲いやがって」
「ごめんってば……」
謝るコタに対して、俺は少し苛ついたので太刀に手を伸ばした。
すると一瞬にして、この状況をシステムによって覆された。
太刀に触れた状態でコタを標的に合わせるとすぐに警告画面が表示され、その画面にはブリキが話していた安全地帯という文字の他に、プレイヤーを攻撃すればペナルティが発生するというありがちな表記もされていた。
一瞬にして冷や汗をかいたが、太刀から手を離せば警告画面もあっという間に消え去り、俺は軽く息を吐いた。
(危ねー。もう、やめよう)
俺は一生安全地帯では罪を犯さないと胸に誓った……。
「あ。そう言えばブリキ……」
俺はある事を思い出して、ブリキに話し掛けた。
それは時間だ。
このゲームを始めた頃から気になっていたが、そう言えば俺達はまだブリキの口からログアウトの時間を一言も聞いていなかった。
もしも時間が存在するなら、こんないつもの茶番よりもダンジョンに早く潜った方が効率が良いし、逆に中途半端な時間だと必ず後悔してしまうと俺は感じたからだ。
「時間、大丈夫か?」
「夕方までは良かったらしいぜ。でも確かに……、そうだな。魔王様の言う通りにした方が良いかも知れないな」
俺の質問にブリキは応えたが、ブリキは何かを悟って呟いた。
するとブリキはしゃがみ込み、右手を地面に付けて魔力を注ぎ込み始めた。
地面に注ぎ込まれた魔力は、やがて俺達を包み込む術式へと変化する。
「アイテムなんかは済ませているよな。確か共通だったし。まあ俺がカバーすれば良いか、神官だし。〝転移 【魔法都市アルカナ《火の神殿》】〟」
ブリキはボソッと呟きながら魔法を発動させた。
すると眩しい光が俺達を消し去った。
◇ ◇ ◇
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【魔法都市アルカナ】
魔法を有する者には絶大的な人気を誇り、魔法に必要なありとあらゆる知識がアルカナには存在する。
そして冒険初心者達でも足を踏み入れることが許される、火、水、風、土といった四属性の神殿と、上級者向けに光と闇の二属性の神殿が存在する。
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火の神殿の地面に転移魔法の術式が浮かび上がると、眩い光の中から俺達は現れた。
「転移魔法、サイコーだぜ!」
楽しくて思わず飛び跳ねたブリキの姿と引き換えに……、俺とコタは転移に酔い過ぎてその場に倒れた。
そして地面が石造りだった為か、地味にダメージを負う。
「大丈夫か、魔王様? コタもだけど、治癒魔法でも唱えようか?」
ツンツンと俺達に指を突くブリキに、俺、コタの順に苦笑いした。
「魔力が勿体ないから、いいって」
「魔力勿体ないし、しなくていいよ」
「そうか?」
つまらなそうにブリキは応えると、俺達は深く溜め息を吐いた。
二分間が過ぎてようやく酔いが冷めた俺達は、その場から起き上がって改めて火の神殿を見つめた。
火の神殿の門には燃え盛る炎をイメージにした火のエンブレムが刻まれ、両側には門を守護するかのように巨人兵の像があった。
仮想空間だとここまで再現できるのかと多少驚きく俺を見て、ブリキはやれやれと仕方なく背中を押し飛ばした。
「ほら、行くぜ。魔王様!」
困惑気味の俺、勇気を振り絞るコタ、何気ない楽しさを満喫するブリキの姿に反応して、神殿の門は音を立てて開かれた。
門を抜けると、そこは辺り一面灼熱地獄の世界が広がっていた。
周囲を見渡せば頂上付近にある火山が噴火し、ドロドロと溶岩が下へ下へと大地にまで流れ込み、プレイヤーの行く手を阻んでいた。
これでは限られた道を進んで行くしか方法がなさそうだ。
するとブリキはアイテムバックから地図を取り出した。
「ん?」
地図を見た瞬間。ブリキは思わず困惑気味にそう言った。
周りの配置と地図を見合わせたが、やはり何かがおかしかったのか、ブリキは首を傾げた。
「どうした?」
「悪い。ちょっとこの場所の特定が出来なくてな。地図を照らし合わせもイマイチで……」
俺がブリキの地図を見てみると、俺達の位置は丸い点と矢印で表示されている。
だが何故か地図に書かれた周りにある場所の配置が異なっていた。
「バグか? それとも、偽……」
「そんな筈ないだろ。これは千堂院さんから貰った物なんだ。偽物なんかじゃないに決まってる。……千堂院さんは、そう言う事は真面目なんだ」
ブリキの千堂院に対しての尊敬愛に、俺は少し対応に疲れてきた。
(って言うか、ブリキもブリキで千堂院馬鹿にしてないか? その言い方だとそれ以外はおかしいんじゃ……)
「わかった、わかった。俺が悪かったよ」
「何か暑くない?」
すると不意打ちのようにコタが俺に話し掛けられ、俺達は同時にコタを見合わせた。
そう言えばさっきから少し暑いかなと感じていた。
まぁ火山があるのだから仕方がない。
(って……)
「何で暑いんだよ!」
俺は思わずツッコミを入れた。
初心者御用達の火の神殿というのはあのガイドブックにも書かれてはいた筈だが、冷却系アイテムが必要とは何も……。
「それはね。たぶん、これのせいだと思うよ」
コタはメニュー画面を開き、設定画面にある五感調整を俺に見せた。
「おい、これって……。最初にブリキが設定するようにって言ってなかったか……」
恐る恐る俺はブリキを見ると、ブリキはまるで千堂院さんと叫んでいるような感じで干乾びていた。
その後。どうにかブリキを励まして、冷却魔法を唱えて貰ったのは言うまでもない。
「あの時は危なかったよね。ホムっち」
コタは苦笑いしながらゴブリン相手に容赦なく二刀流を振る舞う。
そして戦闘に慣れ始めた俺もそのゴブリンに向かって突進し、怒り狂ったゴブリンの攻撃を避けながら初めて三連撃に成功した。
するとゴブリンは叫びながら、ポリゴン体となって四散した。
「ああ、そうだな……。まさかブリキが千堂院に……」
傍から見れば少々笑ってしまいがちだが、ブリキもブリキで千堂院には悩まされているのだと、改めてホムラは実感してしまった。
「ホムっち。さっきから千堂院って言ってるけど誰なの?」
「ああ。そう言えば、コタはあの場にいなかったな……」
俺は嫌がらせ気味に少し間を開けて、だいぶ溜めてからコタに静かに話した。
「千堂院は……、ブリキの女だ」
「え!? ちょっ!? 亘君って彼女いたの!?」
コタは思わずブリキの本名を明かす程仰天した。
するとブリキは杖で俺をぶん殴って静止させた。
「こそこそと変な誤解を作るな。俺が千堂院さんに怒られるだろ……。それとコタも名前には気を付けろ」
「ごめんね、ブリキ」
コタは謝罪して次の獲物を探しに行った。
◇ ◇ ◇
俺達の平均レベルは百に近い。
対してゴブリンのレベルは二十未満らしいけど、実際は大体が九十四位だ。
何故そこまでゴブリンのレベルが高いのかと言えば、プレイヤーの誰かが魔獣の笛というアイテムを使用したらしいとブリキが話していた。
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【魔獣の笛】
普段は出現しないモブが確率で出現するようになる。
ただし通常でも出現するモブのレベルは限界値まで底上げされる。
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上記のようにパーティーだと分散すれば自滅されることはないが、ソロだと少し手強い感じはするものだ。
「じゃあホムっち。僕は行って来るよ」
「ああ」
コタもブリキと同様に獲物を探しに俺と別れた。
「さてと。俺もモブ探しに……」
いきなり背筋が凍りつく。
身体から電流が流れるような気配に、俺はほんの一瞬だけ感じ取る。
感覚を見失わないように周囲を警戒したが、その気配は俺から消え去った。
(何だったんだ? 今のは……)
「魔王様」
突然後ろから聞こえたブリキの声に、俺は腰が抜けた。
するとブリキは俺に近付いて手を伸ばした。
「大丈夫か、魔王様」
「ああ。大丈夫だ。で、何だよ急に……」
「あれ? コタは?」
「モブ狩りに……。って……、あれ? いない……。そうだ。チャットで」
いつの間にか俺達の周囲にコタの姿は無く、俺はチャットを起動させたが無反応だった。
「今は駄目だ、魔王様……。さっきから通信妨害を受けていてな……」
「どういう事だ。ブリキ」
「俺にも分からん。だけどあそこに行けば、コタもすぐに見つかると思わないか?」
ブリキはある方向を直線上に指を指した。
そこはこの灼熱地獄の世界とは似合わない程、巨大な漆黒の両扉が見えていた。