「ゲームなんて、ただの遊びに過ぎない」
ただひたすらにモブを斬って、ただひたすらに経験値を溜める。
そしてレアアイテムを装備して今日も強者と戦う。
RPGに至ってはその繰り返し。
現実世界では何一つ影響を与えない為、ゲームとは遊びとして認めざる負えない。
だがそんな戯れ言を考えた奴等は、このファントムフリーの世界では生きる事は出来ない。
何故かって。
この目で確かめれば良いと思うよ。
この世界をただの遊びで終わらせるか。
それともこの世界をただの遊びではなく、もっと別の何かとして考えるか。
それはファントムフリーを初めてプレイした時点では分からない。
この世界で生き続けていけば、それは徐々に明らかになっていく。
それに対して逃げる事が出来なければ、運命に逆らう事さえも許されない。
そして贖うことも不可能だ。
でも彼は違った。
彼女に出会っていなければ、彼は普通の高校生としての人生を送れたのかも知れない。
全てを奪われ絶望の淵に陥れても、最後の一瞬まで諦めなかった彼の物語は、いつの間にか私の中に刻まれていた。
「さあ始めようか、焔……」
私は黒井焔の名を呟いたが、もう彼はここにはいない。
それもその筈、既に彼は……。
「全員を救出すれば道は開かれるか……」
「そうだよ。君にも説明した筈だよ、アキ君。君は行かなくて良いのかい?」
「ミシロの準備が済めば、な」
私がアキ君と呼んだ高身長の黒髪黒目の彼。九重明人は上から目線でそう呟いた。
彼らがいなければ、誰一人救えなかった。
その為、私はアキに反論する事すら出来ない。
「シャーロットは行かないのか?」
「私はここを守る義務があるから断らせて貰うよ」
「そうか……。じゃあ行ってくる」
「くれぐれも焔を殺すなよ」
シャーロットと呼ばれた私は水色の瞳でアキを睨み付けるが、彼は何も反応を示さずにこの場を去る。
「焔。君は全てを救う義務があるんだ。だから生きて帰って来い」
私は独り言のようにそう呟く。
それが私の……、彼らの最後の希望だから……。
◇ ◇ ◇
西暦2023年7月。
VRMMORPG『フリー』が去年の11月に登場し、入学式から三ヵ月が経過した現在。
鳳凰高等学校、略して鳳凰高一年生最初で最後の期末テストを無事終えた俺黒井焔は、自席へ座ると一気に深い溜め息を吐いていた。
あと一週間頑張れば、誰もが待ち遠しい夏休み。
だが俺からしてみれば非常に微妙な気持ちで一杯だった。
「どうしたの? ホムっち」
後ろから小太りの男友達、虎太郎がスマホを扱いながら俺に話し掛けて来た。
「さっきVRだけ補習が決定してな……」
「へえそうなんだ。ホムっちに理由がなくても僕は大体予想してたよ」
平然と話す虎太郎を見て、俺は何も言い返せない。
何せクラスの連中全員に話しても、虎太郎と同じような返事しか返って来ないからだ。
「虎太郎は良いよな。それ、次のイベントの奴だろ」
俺は虎太郎のスマホを指した。
虎太郎は一ヵ月前にVRのフリーを始めてから、どっぷりと沼にのめり込むようにハマってしまい、この通り現時点では廃課金者だ。
なんでも。ギルドメンバー同士で強さを競っていて、早く課金しないと先を越されるらしい。
俺はVR自体は持ってないがMMOのフリーで学んだ知識のお陰で、虎太郎との話は多少理解できていた。
確かにVRには少し魅力を感じるものの、VRS本体を購入できる金額でもないので、俺はそこまで欲しいとはあまり思わなかった。
「そうだよ。フリーで今度、夏休み限定イベントがあってね。色々と情報を集めてて大変なんだよ」
「そうか。そりゃ大変だな」
「でもホムっちの方も大変だよね。空ちゃんの補習なんて……。期末テストで何て書いたの?」
「聞くな……。俺が何したって言うんだよ……」
(テストでラブコールを拒否しただけ、だよな……)
俺の呆れた表情に何が面白いのか、にっこりと虎太郎は微笑んだ。
(殴りてえ……)
「あっ……。ホムっち、担任が来たよ」
虎太郎はいち早く担任に気付くと、俺から逃げるように小声で知らせて来た。
黒板のある中央へ視線を向けると、担任の片桐という男性教師が慌てて教室へ入る姿が見える。
すると退屈そうに待っていたクラスメイトの女子生徒が片桐先生に呟いた。
「先生、来るの遅いよー」
「仕方ないだろ。俺はお前らの教師なんだから」
片桐先生は笑いながら女子生徒に言い返し、速やかに終礼を終わらせた。
すると高校の終鈴が同時に鳴り響き、クラスメイトの奴らは友達に別れを告げながら、すぐに教室を出て行く姿が見えた。
「ホムっち、じゃあねー」
「焔も補習頑張れよ」
虎太郎、片桐先生の順に、俺にそう伝えて教室を出て行く。
(さて、今から何をしよう?)
時計を見れば、もう少しで昼休み。
売店へ行ってパンでも漁るか? などと考えながら暇を持て余していると、急に銀髪ツインテールの少女が教室内に侵入してきた。
「ホムちゃん。おっはよー!」
何とも可愛らしく振る舞う少女は俺に話し掛ける。
だが俺は全力でその返事を無視した。
「ホムちゃん。おはよー!」
次はもっと可愛くにゃんにゃんと猫のポーズを決めながら少女は話し掛けたが、俺の無視は止まらない。
「ホムちゃん。おはよーだってば!」
挙句の果てには着席する俺に対して少女は黒板消しを投げて来たので、俺は右手でその黒板消しを受け止めると、少女はオーロラクォーツのような水色の瞳を丸くさせた。
内心驚いているように見えるのは、気のせいだろうか……。
この少女の名は立華空。
身長は小学生並みで見た目や言動が子供に見える事もあるが、これでも教師だ。
専門科目はVR。
「で、何か用かよ先生。それに今の時間だと、こんにちわの方が正しいんじゃ……」
「そんな事はどうでも良いの! ホムちゃん。今から補習始めるよ!」
「本鈴すら鳴ってないし、次は昼休みだけど良いのかよ? 授業して……」
あと6分もすれば確かに本鈴は鳴る。
だがそれは昼休みの始めを合図するものだ。
俺は立華先生の方へ視線を向けると、自分が口走った発言や早過ぎた行動があまりにも恥ずかしかったのか、立華先生は興奮気味になりながらも必死に俺に食らい付いた。
「そんな事はどうでも……」
「校長が来るかもよ」
「はう! え? 本当に?」
こうやって一言を挟めば、この通り。さっきまで興奮気味だった立華先生でさえも涙目だ。
それ程までもこの鳳凰高の校長は恐ろしい存在なんだろうな。たぶん。
「だったら……」
(お? まだ来るか)
「だったら……、ホムちゃん。屋上にある林檎ジュース買って来て!」
立華先生は下を向いたまま、俺にそう告げた。
(はい?)
「しないと強制退学させるよ。ホムちゃん!」
教師が生徒に脅迫して良いのか分からないが、もうお手上げ状態らしい。
今ようやく俺に視線を向けて来たが、既に立華先生は半泣き状態だった。
周りに俺以外の生徒がいたら、八つ裂きにされそうな雰囲気だ。
「分かったよ。林檎ジュース買って来るから金を……」
立華先生は何も提示しないので、俺は溜め息混じりに深く息を吐いた。
「分かった。買って来るよ」
俺は立華先生にそう言い残して教室を後にした。
◇ ◇ ◇
ここ。鳳凰高は四階建ての校舎であり、俺達一年生の教室は三階にある。
屋上は一昨年の生徒会長が解禁した事が切っ掛けで出入り自由となり、今では生徒達の人気スポットだ。
そして立華先生が提示した林檎ジュースは、屋上にある自販機にしかない商品だ。
俺は階段を上る時に感じる辛さを踏みしめながら、屋上へ辿り着くとすぐに扉を開けた。
するとその瞬間。バタンッと何かが倒れる音が聞こえ、俺は反射的にその方向へと振り向く。
だが周りには音がなる程の重量物は特になく、あるとするならば、遠くに黒い毛布のような物が落ちていた。
(誰かの忘れ物か?)
俺は扉の向こうへと歩き始めた。
すると両足が地面に触れた、次の瞬間。
俺は微かに、否、正確にはそれを発した少女の声が薄っすらと聞こえた。
「〝【ファントムコマンド】 エリア・バインド〟」
すると両足が地面に縛られたような感覚が襲い掛かる。
俺は避けるように後ろへ下がろうとしたが、全く足は動こうとしない。
否、違う。足が地面から離れないんだ。
「何だよ。これ……」
そう呟く俺に対して返す言葉は、またしても少女の声。
「〝【ファントムコマンド】 オール・ジョブキラー〟」
その言葉が次は何を意味するのかは不明だったが、何故かそれは平気だった。
そしてようやく俺はある事に気付く。
それはさっきから聞こえた少女の声が、あの黒い毛布があった方向から聞こえて来たからだ。
だとすればあれは黒い毛布ではなく、少女本人か。もしくは……。
俺がそうやって考えている途中も、少女は静かに謎の言葉を口にした。
「〝【ファントムコマンド】 ヒューマンアウト〟」
俺は何も状況が掴めないまま、意識が一瞬にして途切れ、その場から自然に前へと倒れた。
……
………
……………。
「大丈……夫で……」
「起き……る……です」
「しっか……、する……」
誰かが俺の耳元で叫ぶ声が聞こえる。
それはうるさい目覚まし時計のように聞こえ、意識のない俺は強く魘された。
(一体誰なんだ。もう少し俺を寝させてくれ……)
◇ ◇ ◇
頭の下で何か柔らかい感触を感じ、俺の視野角は朧げだったものの段々目覚めていく。
すると目の前には黄緑色ショートヘアの少女が、俺を橙色の瞳でじっと覗き込んでいた。
「起きたですか?」
「うわあああ!?」
俺は急に起き上がると少女の額が頭に勢い良く当たり、強烈な痛みで意識が完全に目覚めた。
「痛っ! 何ですか。いきなり……」
「それは、こっちのセリフ……」
昔の郵便屋を思い出すような黒い制服姿の少女は、額に両手をあてて俺と同様に痛がっていた。
そんな少女の姿に、俺はある事に注目して言葉を失った。
それは少女が正座をしていたからだ。
(まさか、さっきのって膝枕……)
俺の脳内では一気に妄想が膨らむ。
少女と言っても、女。
それも膝枕は男のロマンだ。
もう少し少女の太股を堪能するべきだったのではと考えていると、俺は少女に釘を刺された。
「変な妄想してないですか?」
黒制服の少女は立ち上がり、俺をじっと見つめ始める。
まるで痴漢された被害者のような表情で言われ、俺は言葉を濁して少女から目を逸した。
「そんな事考える訳ないだろ。って言うか、アンタ誰だよ。ウチの制服でも無ければ、許可証すらも持ってないし」
「申し遅れたです。私は案内人のアキラ。何かの手違いで私が貴方を攻撃してしまったので、お詫びとして我々のゲームに強制参加して頂きたいのですが……、宜しいですか?」
「……。ごめん。よく聞こえなかった。今、何て?」
「我々のゲームに強制参加して頂きたいです」
「いいえは?」
「ノーです。強制って言わなかったですか?」
俺の質問にアキラは不思議そうに首を傾げた。
「じゃあゲームの内容は? ポーカーで金銭賭博でもするのか?」
「違うですよ。私が提供するのは、VRMMORPG。いわゆるオンラインゲームです」
「だったらその流れで、デスゲームとか……」
「ノーです。人は絶対に死にません」
「……わかったよ。それなら参加しても良さそうだな……」
「では、これを」
アキラは手提げ鞄から黒い箱を取り出し、その中から青白い結晶の携帯ストラップを俺に渡した。
「何だよ、これ?」
「それはVRSd。VRSの上位互換で、ファントムフリーに接続する為の機械です」
俺はVRSdを見て笑ってしまった。
明らかにVRSより一回り、否。それよりも遥かに小型な玩具を見て、俺は彼女に騙されているのではと心配になっていく。
「〝【ファントムコマンド】 ステータス・スキャナー〟」
すると一瞬。アキラの瞳が金色に変化し、段々元の橙色の瞳へと戻っていく。
「何だよそれ?」
「コレですか? これはファントムコマンド。ファントムフリーの参加者なら、誰でも所持しているです。今使用した技は、貴方自身を調べる為のコマンドです」
「へえー」
「えっと、ですね……。貴方の名前は、黒井焔。鳳凰高校に入学して友達を作るも少人数。そしていつしか孤立してボッチに至ってしまい、現在、童」
「おいこら待て! それ以上は!」
「プライバシーの侵害ですか? 私が見れた場所は、貴方の名前と学歴のみ。あとはなんとなく。……って、まさか当たってたんですか?」
ドヤ顔の表情を浮かべるアキラに何故か小馬鹿されているように感じ、俺はアキラの制服の襟に手を伸ばす。
あくまで挑発するつもりでやろうと俺は仕掛けるが……、
「〝【ファントムコマンド】 エリア・バインド〟」
アキラがそう呟いた瞬間。
仕掛けたようとした俺の手は空の彼方へと弾き返され、何も存在しない空間に腕ごと縛られた。
「おい。これって……!」
見覚えのある感覚に俺は驚く。
「はい。これはさっき私が誤って焔さんに攻撃してしまった技の一つです。まあこれはこれで好都合ですけど……」
「どういう事だ!」
「この状況を見れば、大体予想がつく筈ですよ」
俺の縛られた腕は身動きが取れず、もう片方の腕を伸ばそうとしても、アキラには指一本近付けない。
それに両足は束縛されてはいないが、縛られた方の腕は空中で固定されているので、俺は逃げる事も出来ない。
これではまるで罠にかかってしまった鼠と同じだ。
「そう言う事な……」
「いついかなる場合でも、戦況は状況次第で変わるものです。〝【ファントムコマンド】 アンリミテッド・コード〟」
アキラの手から一本の赤い絹が出現した。
それはゲームやアニメなんかに登場するような魔法言語が刻まれていた。
「汝の名は黒井焔。その身を持ってこれを受け止めよ」
次の瞬間。俺はアキラから放たれた赤い絹に撃ち抜かれた。
痛みは、ない。
だが身体からはある異変に気付く。
原因は不明だが、俺の中に何かが取り込まれたような気がした。
「では焔さんにファントムフリーの起動コマンドを教えるです。起動コマンドは、ファントムリンク。私もすぐにそちらで合流するので、周囲で待機していると有り難いです」
「ああ。わかった」
とは言ったものの。本当にこれで仮想世界へ接続出来るのだろうか?
今でも原理が全く不明だ。
「どうしたのですか?」
未だに起動コマンドを呟かない俺に、アキラは不安そうに尋ねた。
「本当にこれで仮想世界に行けるのか?」
その質問にアキラは逆に問いかける。
「行けたら、どうするですか?」
半信半疑で覚悟を決めて、俺は静かに起動コマンドを呟いた。
「〝ファントムリンク〟」
するとキャンパスで油絵を描くかのように景色が白色の背景へと塗り替えられ、いつの間にか俺の周囲には何もない真っ白な世界が広がっていた……。
「ここは……?」
俺は疑問にそう呟くと、ふと光が差し込み思わず目を閉じる。
再び目を開けると俺は先程の真っ白な世界ではなく、ダンジョンを思わせる何処か懐かしい場所に来ていた。